コロナ禍で外出が制限されて、国内外のリトリートに参加できない状況が続きます。
そんな中で、パオ・セヤドーの著作『親知実見』Knowing and Seeing (「如実知見」の改訂版)を入手しましたので、翻訳する事にしました(1か月で50ページくらい進みます、合計8か月程かかる予定)。
『親知実見』の中の一文・・・
[涅槃とは心、心所、心生色法の滅尽。]
おお、これこれ!
涅槃とは何か?と問うて
《涅槃とは、心、心所、心生色法の滅尽》
と、はっきり答えてくれる仏教書というのは、なかなか出会えない。
では、次の疑問・・・心、心所、心生色法が滅尽している状況の下、それを確認しているのは誰か?
私の知る限り、この
《誰か?》問題、答えは
《悟れば分かる》で、
議論はしてはならない、様です。
(私は、《自分自身で自分自身を見ることはできない》
《『これは私である』と言えば、それはすでに他者である》という哲理、また、涅槃とは<常・楽・無我・浄>であると言われている事が、ヒントになると思っています)
本日、このブログを読んだ方、私に、<議論の為のコメント>を投稿されません様、くれぐれもお願い致します(笑)。
追補:子供の時に読んだ日本の仏教書に、
《「非想非非想処定」などという深い禅定は、架空のもの、人の空想の中にのみあるものであって、この世にその様な修行方法、境地は存在しない》
とありました。
原始仏教(テーラワーダ)では、近行定、安止定、八定(四禅と非想非非想処定等)は実践可能となっておりまして、非想非非想処定に関しても、パオ・セヤドーは細かく説明しています。
パオ・セヤドーの著作を翻訳していますと、修行に精進しよう、更に頑張ろう、と勇気が出ます。
いまだ眼窩、喉などに気感はありますが、禅病がほぼ治りまして、座禅・瞑想・・・安般念ができる様になりました。ご心配下さった皆様、ありがとうございました。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>