Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~密集を看破

私が、パオ・セヤドーの著作を翻訳していて、

『恰好いいなぁ』(ちょっとミーハー要素ありです~笑)

と思う所は、昨日のブログ「涅槃とは何か」でも書きました《涅槃とは心、心所、心生色法の滅尽》という、涅槃に関する諸々の記述と、

本日翻訳しました<問答篇の答1‐3>に出てきます

《密集の看破》

のくだりです。

我々は、身体はその様に<見たままにあるもの>、心理現象もまた、<不変の自我>として機能しているもの、と思い込んでいますが、名聚と色聚(素粒子に近似)レベルでは、もう、刹那に生・滅していて、これが私の身体、これが私の自我などと、提示できるものは、ない。

とはいえ、名聚と色聚の密集を看破して、その刹那生・滅を如実に知見するのは、並大抵の努力でもってしても、なかなかに叶わない・・・

パオ・メソッドで言えば、禅相が出現するまで、戒律(五戒)を守り、日々、安般念(その他の業処も可)を実践し、一たび禅相が生じたならば、それが消えない様に守り、やがて、立っても座っても、歩いても横になっても、食事の時も、シャワーや、お手洗いに行っても、禅相が鼻先で、輝いたまま消えなくなった時、[名聚と色聚がその場で生じ、その場で消えていく]のを、禅相の光(智慧の光)と心眼(慧眼)でもって、手に取る様に、実際に<見る>事ができる様になります。

無知で無明、放埓な心を制御する所から始まって、気の遠くなるほどの訓練ですが・・・しかし、人生を本当に輝かしいものにしたいと思うならば、身体と心と外部世界は

<刹那に生・滅していて実体がない>という真理に目覚めるのが一番です・・・

自他の身体密集への看破、外部にある物質密集への看破、心・心所密集への看破・・・人生を賭けるに値する修行だと思います。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>