(答1-3の続き)
一個の心路の中には、四種類の密集があるが、それは観智でもって、看破しなければならない:<注107>。
1)相続密集(santati ghana):心理現象は、一個の相続して不断の密集した構成の全体である様に見える為に、人々は、同一の「心」が目、鼻、舌、身体と意を通して対象を識知しているのだと思い、かつ、同一の「自我」、同一の「心識」、同一の「純意識」等が、一つの生から次の一生に「遷移」して、別の身体に入るのだと思っている場合が多い。
そして、この人生において、人々は、己自身の心識が、身体の外に飛び出す事があると思う。
この種の錯覚を取り除く為に、我々は、この心識の見かけ上の密集を看破しなければならず、認知の過程は、生・滅する心路によって完成されているのだという事を見なければならない。
この様にして、我々は、心はみな、恒常でなく、それらは生起するや否や、即刻、滅し去っている事を見る。
心識は、根本的に、どこへ行く時間も持たず、この一生から、次の一生へと行くこともできないし、この一秒から次の一秒へさえも行くことができないのである。
(答1-3続く)
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>