(答1-3の続き)
2)構成密集(samūha ghana):心理現象が、一個の、構成された全体のものに見える為、人々は、「純意識」が対象を識知しているのだと思い、かつ、それを彼の「自我」であると思ってしまうのである。
この種の錯覚を打ち破るために、我々は、異なる種類の、心識上に見える密集を、看破しなければならないし、異なる類型の心路の中の個別の心識を、分析しなければならない。
この様にすれば、我々は、心識を構成する所の、心と、若干の数量の心所、例えば、受、想、思、尋、伺または瞋、痴、邪見、慢、疑、または無貪、無瞋、無痴、喜、念、信と正見が、元より構成された全体ではない事が分かる。
3)作用密集(kicca ghana):究極名法に対する理解が不足している為、人々は、心と心所は、一個の「自我」に依存して存在しているのだと考えてしまう、それはちょうど、種と植物が大地に依存しているかの様に。
この種の錯覚を打ち破るために、我々は、一つ一つの心と心所は、みな、己自身の特相(特徴)、作用、現起(現象)及び近因を擁していて、「自我」等の、外部に存在する如何なるものにも、依存していない事を見なければならない。
(答1-3つづく)
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>
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