アビダンマの義注のよる解釈では、骨格厭悪相によって初禅を証得した人は、引き続き初禅の五自在を練習しなければならない。その後、禅修行者己自身から最も近い衆生を選ぶが、最もよいのは、彼の面前に座っている人である。
禅定の光によって、当該の人物の骨格を所縁とする。
彼は、それをば厭悪である、として専注し、かつ、五禅支が鮮明になるまで、修習しなければならない。
義注によると、五禅支が鮮明であっても、それはいまだ近行定(upacāra-samādhi)でも、安止定(appanā-samādhi)でもない、というのも、対象が生命であるが故に。(Vbh.A.356)
しかしながら、アビダンマの復注である《根本復注》(Mūlaṭīkā)によると、もし、外在の骨格を死者の骨格として専注するならば、あなたは、近行定に到達することができる。(Vbh.T.356)