Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#29-14

如何にして悲を修習するか

あなたが、すでに、先ほど述べた方法によって、慈心を育成した後であれば、悲梵住を修習する事は、決して難しいことではない。

憐憫の心を修習する為に、あなたは、先に、一人の、まさに苦を受けている、生きている同性を選び、彼または彼女の痛苦を思惟する事を通して、あなたの、彼または彼女への憐憫(の心)を激発させる。

白遍を利用して、第四禅を復習し、禅定を光を燦爛とした、清らかなものにし、その光でもって、当該の人物を照らす様にし、その後に、第三禅に到達するまで、慈心の修習をする。

出定の後、「この善き人が痛苦より解脱します様に」(ayaṃ sappuriso dukkhā muccatu)という方式でもって、いままさに苦を受けているその人に対して、憐憫の心を育成する。

斯くの如くに、初禅、第二禅、第三禅を成就するまで、不断に重複して修習し、何度も修行し、かつそのジャーナ毎の五自在を練習する。

その後、あなたは、慈を修した時と同じ様に、憐憫を育成しなければならない。それはすなわち、己自身に対して、好ましい人に対して、中立的な人に対して、及び嫌いな人に対してであるが、また、後者の三種類の人への悲の修行は、限界を突破し、第三禅に到達しなければならない。

どの様に、明確な痛苦に出会ったことのない衆生に対して憐憫を育成する時、あなたは、以下の事実を省察、思惟するべきでる:

すべての、いまだ覚悟(悟り)を得ていない衆生は、彼らが生死輪廻の過程において造(ナ)した所の悪業が齎す結果を受け取らねばならなず、故に、すべての、未だ覚悟を得ていない衆生は、皆、悪趣に生まれる可能性を擁している。その上にまた、一人ひとりの衆生は皆、同情するに値する存在である、というのも、彼らはいまだ、老、病、死の苦しみから解脱していないが故に。

この様に省察・思惟した後、慈を修習するのと同じ様に、あなたは己自身とその他の三種類の人に悲を修習しなければならない。

この三種類の人に向けて、限界を突破して、第三禅に達するまで修行する。

その後、132種類の、慈を修習するのと似た様な方式でもって、すなわち、五種類の無限界、7種類の有限界と、120種類の十方遍満[5+7+(12*10)=132](によって修行する)のである。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>