<#30-1>シリーズは、中国語原文<P 141~P158>の、脚注の翻訳です。
<注133>=この点に関しては、問答2-2、P126参照の事。
<注134>=この記述は、禅修行者が、実際に、己自身が決意した範囲内のすべての女性、男性、天人等などが見える、という事を意味しない。その意味は、禅修行者は、作意を通して、一人一人の女性、男性、天人等などに慈愛を拡散し、撒布しなければならない、と同時に、己自身の能力を尽くして、彼らすべてを照見しなければならない、という事である。
<注135>=《巴提格経》(Pāthika Sutta)(D . 3.6);《律蔵・韋蘭哲章》(Vinaya.1.1.Verañjakaṇḍa);《清浄之道・仏随念論》(Buddhānussatikathā)(Vm.125-130)
<注136>=ここにおいて、asubha(不浄)とpaṭikkhūla(厭悪)は、同じ意味である。
<注137>=D. 2.379;M1.112。
<注138>=《清浄之道・説念死》(Maraṇāssatikathā)(Vm.168)
<注139>=A. 10.60.
<注140>=S.3.5 。P53においても、関連の經文を引用済み。P242問答4-6においても、この事に触れている。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>