問3-3:どの様な条件の下でならば、我々は、ある種の禅修行の体験が近行定であるとか、安止定であるとか、言えるのでしょうか?
答3-3:入定している期間において、なお、多くの有分が生起する時、これは近行定である、と言えるが、しかし、その禅相は、必ず似相でなければならない。
唯一、似相を所縁とする時で、かつ、長時間、絶え間なく、完全に、安止に住する事ができる時にのみ、それは安止定なのだと、言えるのである。
禅修行者は、如何にして、彼の心が、有分に落ちたことを知るのか?
彼が、度々、似相に対して知覚を失う事を察知する時、彼はそれがすなわち、有分であると、知る。
彼の心は、また、短時間の間、似相以外の対象に思いを致すことがある。しかし、これらの状況は、安止定では発生しない。安止定の中においては、ただひたすら、一筋の間断なく、完全に安止する。