Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#31-8

問3-3:どの様な条件の下でならば、我々は、ある種の禅修行の体験が近行定であるとか、安止定であるとか、言えるのでしょうか?

答3-3:入定している期間において、なお、多くの有分が生起する時、これは近行定である、と言えるが、しかし、その禅相は、必ず似相でなければならない。

唯一、似相を所縁とする時で、かつ、長時間、絶え間なく、完全に、安止に住する事ができる時にのみ、それは安止定なのだと、言えるのである。

禅修行者は、如何にして、彼の心が、有分に落ちたことを知るのか?

彼が、度々、似相に対して知覚を失う事を察知する時、彼はそれがすなわち、有分であると、知る。

彼の心は、また、短時間の間、似相以外の対象に思いを致すことがある。しかし、これらの状況は、安止定では発生しない。安止定の中においては、ただひたすら、一筋の間断なく、完全に安止する。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>