何故、諸々の行法が、彼の心中に、明晰に顕現するのか?
それは、前の一世の生において、人であった時の臨終速行心と、それに緊密に密接している天人の生命の有分心は、同じ所縁を縁に取るが故、であり、この様な状況は、諸々の行法の無常・苦・無我の本質なのである。
「主人」としての有分心は、すでに、観智の所縁を知っている為、観智は、容易に育成される。
故に、当該の經によれば、観智と相応する強力な正念は、不善の映像が出現するのを阻止することができると同時に、また、その他の善相が観禅の相と取って代わるのを防ぐことができる。
死亡が発生する前、あなたは、この種の正念を擁することが出来る様、チャンレンジしてみるべきである。
《沙格所問経》(Sakkapañha Sutta)は、三人の、かつて、止観の修行をした事のある比庫に触れているが、これも一例である。
彼らは、皆、良好な戒行と非常に良好な定力を擁していたが、しかし、彼らの心は、男性のガンダッバに生まれたという願望に傾いていた。<注149>
彼らは、思慕、天界において、非常に美しく、光明で輝く、16歳ほどのガンダッパとなって、生まれた。
彼らが、前世において比庫であった時、この3人の比庫は、毎日、一人の女性居士の家に托鉢に行き、かつ、彼女に仏法を教えた。彼女は初果入流聖者になり、死後、沙格天帝の息子ゴーパカに生まれ変わった。
この3人のガンダッパは、沙格天帝の子であるゴーパカが歌舞に興じた時、彼は、彼らが非常に美しく、光耀いているのを見て、心で思った:
「彼らは非常に美しく、光耀いている。彼らは、どの様な業を造(ナ)したのであろうか?」
彼は、彼らが、彼がいまだ女性の居士であった時に、彼女の家に托鉢に来ていた3人の比庫であることを知っていた。彼は、彼らの戒・定・慧が、皆非常に良好である事を知っていたので、彼らに過去世を思い出す様にと促した。
彼は言った:
「あなた方が、教法を聞き、修行する時、あなた方の目と耳は、何に向かいますか?」
二人のガンダッパは、彼らの過去世を思い出して、恥ずかしく思った。彼らは、再度、止観を修習して、非常に早く、不来道果を証悟し、結果、世を去った。
彼らは、梵補天(Brahmapurohita)に生まれ変わり、かつ、ここにおいて、阿羅漢を証悟した。
3人目の比庫は、恥ずかしいとは思わず、引き続きガンダッパであり続けた。(D.2 。353-354)。
こういうことであるが故に、あなたは、生命保険に加入する必要はない。この種の正念は、最もよい保険なのである。