Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~坐骨神経痛と安般念

一か月程前、臀部に鈍い痛みが・・・。

痛みは少々で、無視していた所、二週間後、朝、目が覚めて、起き上がるために寝返りを打とうと、足を高く上げた所、臀部から踵まで、足の裏側全体に、激痛が走りました。

最初は「こむら返りかな」と思いましたが、二、三日後、再度痛みが走った時、引き攣れる感じより、鈍痛の方が強く感じられたので、病院(整形外科)に行って検査して頂きました。

4月2日に、X線を撮ったのですが、腰に近い脊椎が変形していて、坐骨神経痛」という診断が・・・(4月2日は、X線のみ。9日にMRIを撮って、最終確認の予定)。

それで、何か、腰痛に関する医学書はないかと思い、例によって ama●●n を覗いてみました。

ありました、ありました・・・

『人生を変える幸せの腰痛学校ー心をワクワクさせるとカラダの痛みが消える』(伊藤かよこ著)

読者の感想を、コメント欄で読んでみると、どうやらこれは、[認知行動療法]というものらしいです。

これをヒントに、長らく安般念で修行してきた私なら、どうしたらよいか、ちょっと智慧をめぐらせてみました。

仏教には《二矢を受けず》という教えがあります。

坐骨神経痛で、足に痛みが走った時、

「イタタッ」

と思うのが一番目の矢。

次に 

「痛いなぁ」「辛いなぁ」「これから先どうなるのだろうか」

と心が暗くなってしまうのが、二番目の矢。

仏教徒は、この二番目の矢を受けない様に、ここが<智慧>の発揮のしどころ。

二矢を受けない為に、まず、心を落ち着かせて、安般念をする。そうすると、痛みは、まったく<0>になるのは事は無くても、ほどほど軽減する。

それは、最初の痛みは、業、時節、または生活習慣による為、不可避的なものであるけれども、次に続く痛みは、己自身の怒りや恐怖心によって増幅されたものであるから、ここが勝負の 「心の持ちよう」 という事。

安般念を始める前に、

「72年間、身体を使わせて頂き、ありがとうございます。今になって、坐骨神経痛になろうとも、感謝、感謝です」

と、身体に向けて、感謝の念を送ると、痛み緩和の効果は、もう少し上がる。

仏教徒が安般念を実践するのは、<身体+脳>と<心の働き>を分離させる智慧である、と言えます・・・すなわち、心が、身体の痛みに巻き込まれない様に、心には、《息を観察する仕事》を宛がう、という訳です(この時、禅定に入れれば尚よし)。

身体に向けて、感謝の念を送るのは、その様にすれば、脳内に幸福のホルモン、オキシトシンが分泌されるから、痛みを感じる度合いが軽減される・・・(最近の脳科学の知見では、その様に言われています。但し、脳科学は、<身体>+<脳> という考え方で、心の働きは認めていない。西洋は、心臓の血液から、心(citta)が生まれるという、東洋の叡智<身体・脳>+<心>を知らないでいます。

心臓から心が生まれるという智見に関しては、『親知実見』#33-1をご参照下さい。)

昔(子供の時)、

「何事も心の持ちよう」

と言われて、強く反発したのを覚えています。

だって、痛いものは痛い、それを

「痛くないと思えば痛くない」

なんて、そんなの非科学的、そんなの無理!

と思っていたのですが、仏教と脳科学を学べば、心の持ちようで解決する部分も多々あるのだな、と合点。

但し、本当に痛くて辛い時は、医療の手を借りるべし。

痩せ我慢も過ぎると、逆効果。

生兵法は怪我の元。

有難い仏陀の教えを含め、何事も鵜呑みにしてはいけない事は、大前提。

さて、私の坐骨神経痛、感謝の心と安般念で、どれくらい軽くなり、どくらいで限界がくるか、楽しみ、楽しみ・・・

(限界が来たら、鎮痛剤を飲むかも知れません、なるべく飲みたくはないですが)。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>