南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』Knowing and Seeing #34-5

<注190>=禅修行者は、すでに、12個すべての特徴を識別し終えた。しかし、一粒一粒の色聚の中においては、ただ、8個の特徴しか識別することができない:

1)硬さ。2)粗さ。3)重さ:

(または1)軟らかさ。2)滑らかさ。3)軽さ:

4)流動性。5)粘着性;

6)熱さ(または冷たさ);

7)支持性。8)推進性。

同じ一粒の色聚の中においては、対立する特徴が存在する事はない。

<注191>=《分別[論]義註・一法義釈注解》(Ekakaniddesavaṇṇānā)(Vbh.A.766 )

<注192>=実際の識知の所縁は、意門心路の中の7個の速行心によって完成される。どの所縁であっても、どの根門を通って到達したかに関わらず、例外はない。〈はじめに〉中国語原文P 29及び「表1b:意門心路」中国語原文P 265参照の事。

<注193>=仏陀の、意根がどの様にして、その他の五根所縁を了知するのかという事に対する解釈は、中国語原文p26に引用した経を参照の事。

<注194>=パオ・セヤドーの解釈では、まさにガラスを見る事を通して、ガラスの透明性を見ることができるのと同じ道理でもって、四界を識別することを通して、色聚の透明性を見ることができるーー四界は、ちょうど、透明性を擁する「ガラス」の様なものである。

<注195>=「明瞭(明亮)な有分」という時、それは一種の隠喩的な言い方である。というのも、事実は、明亮なのは、有分によって生じる所の色聚であるが故にーー心生色聚、この種の色聚の中の時節は、更に進んで明亮な色聚を生じることができる。止観(サマタ・vipassanā)を修習する心は、汚垢(upakkilesa)がないが故に、生じる所の色聚は、猶の事明亮である。詳細は「心生色」中国語原文p186参照の事。

<注196>=業生、心生、時節生と食生色の解釈に関して、中国語原文p183及びその後の内容を参照の事。

<注197>=パーリ聖典における用い方に基づくと、”citta”(心)と”viññaṇa”(識)は同義語である。《無聞経》(Assutavā Sutta)(S.2.61)参照の事。パーリ聖典の権威への尊重から、パオ・セヤドーは忠実に、具体的なパーリ聖典が使用している所の専門用語を採用する。故に、彼はよく、一つの事柄に対して、異なるパーリ語の専門用語を使用することがあるが、どの語彙を使用するかは、引用する経文によって決定される。

 <翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>