問4-2:禅の修行の課程を修了した後、禅修行者は、道智と果智を証悟することができますか?もし、不可能であるならば、その原因は何ですか?
答4-2:できるかも知れない。これは彼のハラミツ(pāramī)による。
樹皮を被ったバーヒヤ ダールチーリヤ(Bāhiya Dārucīriya)を例にすると<注222>、彼はカッサパ仏(Kassapa Buddha)の教法の時代に、止観の修習をして、すでに行捨智(Saṅkhārupekkhā-ñāṇa)に到達していた。彼は、約2万年、修行を行ったが、如何なる道智も、果智も証悟する事はなかった。というのも、彼は、勝蓮華(Padumuttara)仏の授記を得、速通達者(khippābhiñña)になり、釈迦牟尼物仏の教法の中において、最も速く阿羅漢を証悟した弟子になった。ということは、彼のハラミツは、その時にようやく熟したのだ、と言える。<注223>。
同様に、釈迦牟尼の教法の時代において、四無礙解智(Paṭisambhidā-ñāṇa)を証得した所の、その他の弟子たち(sāvaka)もまた、みな、過去の諸々の仏の教法の時代において、止観の修習を実践して、行捨智に到達してあったのである;これは法の定律である。彼らの証得した所の、四無礙解智は以下の通りである;
1)義無礙解智(Atthapaṭisambhidā ñāṇa):
果に対応する、すなわち、苦聖諦への観智;
2)法無礙解智(Dhammapaṭisambhidā ñāṇa):
因に対応する、すなわち、苦集聖諦への観智;
3)辞無礙解智(Niruttipaṭisambhidā ñāṇa):
4)弁無礙解智(Paṭibhānapaṭisambhidā ñāṇa):
前の三種類の無礙解智への観智。