翻訳『親知実見』#35-12
3)普通弟子においては、もし、彼が、止観の修習を通して、
縁摂受智(Paccayapariggaha-ñāṇa)、または
生滅智(Udayabbaya-ñāṇa)、または
行捨智(Saṅkhārupekkhā-ñāṇa)に到達するならば、今生において、何等の道果をも証悟できないとしても、彼は死後、四悪趣(apāya)のどれか一種類に生まれ変わる事はない。
この事に関して、《清浄之道》は、以下の様に解説する:
”Iminā pana ñāṇena samannāgato vipassako buddhasāsane laddhassāso laddhapatiṭṭho niyatagatiko cūḷasotāpanno ñāma hoti. ”
「この智を五取蘊即する観の修行者は、仏陀の教法の中において、安息を得、依処を得、名を小入流(cūḷasotāpanna)に至る事が決定される<注233>」(Vm.691)。
こうした事から、小入流は、天界に生まれ変わることができ、その後に、以下の様な、四種類の状況が発生する可能性がある。仏陀は《入耳経》(Sotānugata Sutta)の中において、以下の様に言う:<注234>: