問4-4:課程を完成させた禅修行者で、いまだ涅槃を証悟できていない者は、法住智(Dhammaṭṭiti-ñāṇa)を得ることができますか?
もし可能であるとして、この種の智慧は、退失する事がありますか?
答4-4: ええ、彼は、法住智を証得する事はできる。
”Pubbe kho Susīma dhammaṭṭhitiñāṇaṃ pacchā Nibbāne ñāṇaṃ.”
「スシーマよ、先に法住智、その後に涅槃智である。」
これは、仏陀がスシーマに示した開示である<注236>。
スシーマは、「法を盗む」ために、出家した遊行僧(paribbājaka)であったが、しかし、仏陀は、彼が何日かの内に、涅槃を証悟するであろうことを観察・察知した為、彼を受け入れたのである。
スシーマは、多くの阿羅漢が仏陀に謁見して、かつ、彼らが阿羅漢を証悟した事を報告しているのを聞いた為に、スシーマは、彼らには、八定と五神通があるのかどうか、を訊ねたのだが、彼らは「ない」と答えた。
「もし、八定と五神通を擁しないのならば、あなた方は、どの様にして、阿羅漢を証悟することができたのか?」
彼らは答えて言う:
”Paññāvimuttā kho mayam、āvuso Susīma”。
その意味は、
「賢友スシーマよ。我々は、純観乗(suddhavipassanā yānika)によって、煩悩を断じ除き、阿羅漢を証悟したのである。」
彼はその意味を理解できなかったので、仏陀に対して、同じ質問をした。
仏陀は言う:
”Pubbe kho Susīma dhammaṭṭhitiññāṇaṃ pacchā Nibbāne ñāṇaṃ.”
「スシーマよ。先に法住智、その後に、涅槃智である。」
どの様な意味であろうか?
道智は、八定または五神通の結果ではなく、観智の結果である。故に、道智は、唯一、観智の後において生起する。
《スシーマ経》の中において、すべての観智はみな、法住智に属している(と書かれている)。法住智は、すべての行法、縁生法(saṅkhāradhamma)ーーすなわち、名色法とその因ーー無常・苦・無我の本質を観照する所の、観智である。
故に、先に法住智があり、その後に、涅槃を所縁とする道智があるのである。
次に、仏陀は《無我相経》(Anattalakkhaṇa Sutta)<注237>で開示したのと同じ様な、三輪教説(teparivaṭṭa dhammadesanā)<注238>を開示した。
開示・説法が終わると、スシーマは阿羅漢を証悟したのである、たとえ、彼には八定も五神通も擁することはないとしても、一人の順観乗者にはなれた。その時、彼は、はっきりと、仏陀の教法の真義を理解したのである。
もし、禅修行者が、法住智を証得するならば、今生において涅槃を証悟することができなくても、彼の観智は消失する事はない、というのも、観の修習における業力は、非常に強大であるが故に。もし、彼が普通弟子であるならば、彼は、次の一世において、涅槃を証悟するであろう。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>