南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』Knowing and Seeing #35-15

問4-4:課程を完成させた禅修行者で、いまだ涅槃を証悟できていない者は、法住智(Dhammaṭṭiti-ñāṇa)を得ることができますか?

もし可能であるとして、この種の智慧は、退失する事がありますか?

答4-4: ええ、彼は、法住智を証得する事はできる。

”Pubbe kho Susīma dhammaṭṭhitiñāṇaṃ pacchā Nibbāne ñāṇaṃ.”

「スシーマよ、先に法住智、その後に涅槃智である。」

これは、仏陀がスシーマに示した開示である<注236>。

スシーマは、「法を盗む」ために、出家した遊行僧(paribbājaka)であったが、しかし、仏陀は、彼が何日かの内に、涅槃を証悟するであろうことを観察・察知した為、彼を受け入れたのである。

スシーマは、多くの阿羅漢が仏陀に謁見して、かつ、彼らが阿羅漢を証悟した事を報告しているのを聞いた為に、スシーマは、彼らには、八定と五神通があるのかどうか、を訊ねたのだが、彼らは「ない」と答えた。

「もし、八定と五神通を擁しないのならば、あなた方は、どの様にして、阿羅漢を証悟することができたのか?」

彼らは答えて言う:

Paññāvimuttā kho mayam、āvuso Susīma”。

その意味は、

「賢友スシーマよ。我々は、純観乗(suddhavipassanā yānika)によって、煩悩を断じ除き、阿羅漢を証悟したのである。」

彼はその意味を理解できなかったので、仏陀に対して、同じ質問をした。

仏陀は言う:

”Pubbe kho Susīma dhammaṭṭhitiññāṇaṃ pacchā Nibbāne ñāṇaṃ.” 

「スシーマよ。先に法住智、その後に、涅槃智である。」

どの様な意味であろうか?

道智は、八定または五神通の結果ではなく、観智の結果である。故に、道智は、唯一、観智の後において生起する。

《スシーマ経》の中において、すべての観智はみな、法住智に属している(と書かれている)。法住智は、すべての行法、縁生法(saṅkhāradhamma)ーーすなわち、名色法とその因ーー無常・苦・無我の本質を観照する所の、観智である。

故に、先に法住智があり、その後に、涅槃を所縁とする道智があるのである。 

次に、仏陀は《無我相経》(Anattalakkhaṇa Sutta)<注237>で開示したのと同じ様な、三輪教説(teparivaṭṭa dhammadesanā)<注238>を開示した。

開示・説法が終わると、スシーマは阿羅漢を証悟したのである、たとえ、彼には八定も五神通も擁することはないとしても、一人の順観乗者にはなれた。その時、彼は、はっきりと、仏陀の教法の真義を理解したのである。

し、禅修行者が、法住智を証得するならば、今生において涅槃を証悟することができなくても、彼の観智は消失する事はない、というのも、観の修習における業力は、非常に強大であるが故に。もし、彼が普通弟子であるならば、彼は、次の一世において、涅槃を証悟するであろう。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>