シリーズ<#40-1>は、中国語原文P 277~P290の脚注の翻訳です。
<注287>=ある種の人々は、「四禅八定」という言い方を好むが、しかし、これは不正確な言い方である。というのも、八定とは、四色界禅と四無色界禅であり、その中には、すでに、色界の四禅が含まれている。
<注288>=《清浄之道・修定利益論》
(Samādhi-ānisaṃsakathā)(Vm.362)
<注289>=これを、vipassanāの基礎的ジャーナ(vipassanāpādakajjhāna)と言う。《清浄之道》では、以下の様に説明する:「学人(非阿羅漢の聖者)と凡夫は、出定の後[想う]:『我々は、定の有る心でもって観の修習をしよう』
すでに、vipassanāの近因となる安止定の修習を修習しているため、近行定の修習を含めて、障礙の中にあっても、vipassanaを証得するチャンスを得る、という功徳がある。」
その後に、《定経》(Samādhi Sutta)を引用して、以下の様に言う:「比庫たちよ。定の修習をするべきである。比庫たちよ。定力のある比庫は、如実に了知することができる。」中国語原文p53、p35に引用した経文を参照の事。
<注290>=更に詳しい説明は、中国語原文p202参照の事。
<注291>=中国語原文p257及びその後の記述内容を参照の事。
<注292>=《双運経》(Yuganaddha Sutta)(A. 4.170)において、説明されている。
<注293>=《清浄之道・説神通品》(Iddhividhaniddesa)を参照の事。
<注294>=「如何にして生滅智を育成するか」中国語原文p340とその後の記載内容を参照の事。阿羅漢を証悟する道、及び阿羅漢の「永久住処」(ただ諸行の持続的生・滅をのみ見る)に関する詳細説明は、仏陀の《七処經》(Sattaṭṭhāna Sutta)(S.3.57)に詳しい。
<注295>=《清浄之道・滅定論》(Nirodhasamāpattikathā)(Vm.879)
<注296>=「無常とはすなわち、五蘊・・・」(Aniccanti khandapañcakaṃ Pañcakkhandhā aniccanti.)
《分別[論]義注・経分別解釈》(Suttanta-bhājanīyavaṇṇanā)(Vbh。A. 154)参照の事。問答2-3、中国語原文p132にも引用あり。
<注297>=《大念処經》(D.2.373)
<注298>=経文の引用は、注39、中国語原文p38参照の事。
<注299>=《バーヒヤ経》(Bāhiya Sutta)(U.10)
<注300>=涅槃を証悟する四種類の人間に関して、問答4-3、中国語原文p232を参照の事。四種類の阿羅漢道に関しては、問答4-7、中国語原文p249参照の事。
<注301>=例えば、《浄信経》(Pāsādika Sutta)(D.3.189)
<注302>=《清浄之道・第一5種戒》(Vm.20)
<注303>=パオ・セヤドーの当時の聴衆の、絶対的大部分は、みな大乗仏教徒であった。彼らの修行の目的は、阿羅漢(解脱)ではなく、菩薩道を行じて、仏陀に成る(一切衆生の救済)事であった。
<注304>=問答4-3、中国語原文p232参照の事。
<注305>=涅槃の空観に関して、中国語原文p58、及び涅槃三門、中国語原文p107、参照の事。
<注306>=「如何にして仏随念を修習するか」の最後の部分、中国語原文p154を参照の事。