南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#40-1(290/446)

シリーズ<#40-1>は、中国語原文P 277~P290の脚注の翻訳です。

<注287>=ある種の人々は、「四禅八定」という言い方を好むが、しかし、これは不正確な言い方である。というのも、八定とは、四色界禅と四無色界禅であり、その中には、すでに、色界の四禅が含まれている。

<注288>=《清浄之道・修定利益論》

(Samādhi-ānisaṃsakathā)(Vm.362)

<注289>=これを、vipassanāの基礎的ジャーナ(vipassanāpādakajjhāna)と言う。《清浄之道》では、以下の様に説明する:「学人(非阿羅漢の聖者)と凡夫は、出定の後[想う]:『我々は、定の有る心でもって観の修習をしよう』

すでに、vipassanāの近因となる安止定の修習を修習しているため、近行定の修習を含めて、障礙の中にあっても、vipassanaを証得するチャンスを得る、という功徳がある。」

その後に、《定経》(Samādhi Sutta)を引用して、以下の様に言う:「比庫たちよ。定の修習をするべきである。比庫たちよ。定力のある比庫は、如実に了知することができる。」中国語原文p53、p35に引用した経文を参照の事。

<注290>=更に詳しい説明は、中国語原文p202参照の事。

<注291>=中国語原文p257及びその後の記述内容を参照の事。

<注292>=《双運経》(Yuganaddha Sutta)(A. 4.170)において、説明されている。

<注293>=《清浄之道・説神通品》(Iddhividhaniddesa)を参照の事。

<注294>=「如何にして生滅智を育成するか」中国語原文p340とその後の記載内容を参照の事。阿羅漢を証悟する道、及び阿羅漢の「永久住処」(ただ諸行の持続的生・滅をのみ見る)に関する詳細説明は、仏陀の《七処經》(Sattaṭṭhāna Sutta)(S.3.57)に詳しい。

<注295>=《清浄之道・滅定論》(Nirodhasamāpattikathā)(Vm.879)

<注296>=「無常とはすなわち、五蘊・・・」(Aniccanti khandapañcakaṃ Pañcakkhandhā aniccanti.)

《分別[論]義注・経分別解釈》(Suttanta-bhājanīyavaṇṇanā)(Vbh。A. 154)参照の事。問答2-3、中国語原文p132にも引用あり。

<注297>=《大念処經》(D.2.373)

<注298>=経文の引用は、注39、中国語原文p38参照の事。

<注299>=《バーヒヤ経》(Bāhiya Sutta)(U.10)

<注300>=涅槃を証悟する四種類の人間に関して、問答4-3、中国語原文p232を参照の事。四種類の阿羅漢道に関しては、問答4-7、中国語原文p249参照の事。

<注301>=例えば、《浄信経》(Pāsādika Sutta)(D.3.189)

<注302>=《清浄之道・第一5種戒》(Vm.20)

<注303>=パオ・セヤドーの当時の聴衆の、絶対的大部分は、みな大乗仏教徒であった。彼らの修行の目的は、阿羅漢(解脱)ではなく、菩薩道を行じて、仏陀に成る(一切衆生の救済)事であった。

<注304>=問答4-3、中国語原文p232参照の事。

<注305>=涅槃の空観に関して、中国語原文p58、及び涅槃三門、中国語原文p107、参照の事。

<注306>=「如何にして仏随念を修習するか」の最後の部分、中国語原文p154を参照の事。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>