この点に関して、我々は、菩薩は、どの様な条件のもとで、授記を得ることができる(できた)のかを、見てみたいと思う。<注338>。
”manussattaṃ liṅgasampatti、
hetu satthāradassanaṃ:
Pabbajjā guṇasampatti、
adhikāro ca chandatā;
Aṭṭhadhammasamodhiānā
abhinīhāro samijjhati,”
彼は、以下の8項目の条件を具備した時、初めて授記を獲得することができた:
1)Manussattaṃ:彼は人間である。
2)Liṅgasampatti:彼は男性である。
3)Hetu(因または根):彼は充分なハラミツを擁している。仏陀が誦する、四聖諦に関する短い偈頌を聞くだけで、阿羅漢を証悟することができる。その意味はすなわち、彼はすでに、徹底的に観の修習を実践して、行捨智(Saṅkhārupekkhā-ñāṇa)に到達している、ということである。
4)Satthāradassanaṃ(己自身、自ら、導師に会う):彼は、一人の仏陀に出会った。
5)Pabbajjā(出家):彼は出家して、隠者または比庫になる。また、業果の法則に関して、堅固で迷う事のない信心(=確信)がある。
6)Guṇasampatti(功徳の成就):彼はすでに、八定(samāpatti)と五種類の世間神通(abhiññāṇa)を成就している。
7)Adhikāro(増上行):彼は、仏陀の授記を受けるだけの、充分なハラミツを擁している。
その意味は、彼は、過去生においてすでに、一切知智(Sabbaññuta-ñāña)を証悟するために必要とされる修行をハラミツとして、積んでいる事。
言い換えれば、彼は、過去仏の教法の時代において、一切知智の明(vijjā)と行(caraṇa)の種を蒔いてあること。
《ヤソーダラー本行》(Yasodharā Apadāna)によると、未来のシッダッタ太子は、かつて、数千万仏の前で、一切知智を証悟し、かつ、それらの仏陀の指導も下に、すべてのハラミツを蓄積することを発願した(未来のアソーダラー妃は、彼のために発願した)。
彼が累積したハラミツの内の、一種の方式は、身体をもって橋として、燃灯仏(Dīpaṅkara Buddha)と10万人の比庫に踏ませ、(道を)渡らせたことである。この様にすれば、自分自身の命を失ってしまう事を、明確に知っていながら、そうしたのである。
8)Chandata(意欲):彼は、充分に強烈な、一切知智を証悟したいという意欲がある。この意欲は、どれほどの強さがあるであろうか?仮に、輪囲世界全体が、赤く焼けた炭火で満たされているとして、ある人が、この世界の端から、この焼け誇っている炭火の、もう一つの端まで歩いて行けるならば、一切知智を証悟することができる、と告げたならば、彼は、何等の躊躇もすることなく、この燃え盛る炭火の上を歩いて行くであろう。
今、私はあなたに訊ねたい:
あなたは、この炭火の上を歩くことができますか?
輪囲世界全体でなくとも、仮に、この台湾から、(緬甸の)パオ森林僧院まで、燃え盛る炭火が敷かれているとして、あなたは、歩いて行くことができますか?
もし仮に、この方式でもって、確実に一切知智を証悟することができるならば、菩薩は、必ずや、燃え盛る炭火を踏み越えて行く。
これが、彼にとっての、一切知智への強烈な意欲なのである。