Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#46-1

<#46-1>シリーズは、中国語原文p329~p355までの、脚注の翻訳です。

<注348>=特徴:<注87>。中国語原文p68参照の事。

<注349>=<智論>(Paññākathā)(Vm.T.)及び、

〈説道非道智見清浄品〉(Maggāmaggañāṇadassanavisiddiniddesa)(Vm.694)。

<注350>=五蘊:色、受、想、行、識。中国語原文p22に引用した経文参照の事。

<注351>=12処:眼/色、耳/音声、鼻/香、舌/味、身/触、意/法。関連する経文は中国語原文p25及びその後の記載を参照の事。

 <注352>=12縁起支:

1)無明、2)行、3)識、4)名色、5)六処、6)触、

7)受、8)愛、9)取、10)有、11)生、

12)老死、愁、悲、苦、憂、悩。中国語原文p49引用の経文参照の事。

<注353>=18界:12処及び相応する六識:

眼識、耳識、鼻識、舌識、身識と意識(12+6=18)中国語原文p25参照の事。

<注354>=(Anattalakkhaṇa Sutta)(S.3.59)。<はじめに>においt、中国語原文P56において、この経を引用した。

<注355>=<教誡チャンナ経>(Channovāda Sutta)の義注では、以下の様に説明する。「これは私のものではない。」、これは私ではない。これは私の自我ではない」を無常・苦・無我の観照(の対象・内容とする)。復注では、以下の様に説明する。「これは私のものではない」は、苦の観照、「これは私ではない」は無常の観照とする。(M.A.3.391 )。

<注356>=《蘊経》(Khandha Sutta)(S.3.48)。<はじめに>中国語原文p23において、この経を引用した。

<注357>=完成色に関して、「表2a:28色法」中国語原文p223を参照の事。

<注358>=具体的な方法は、中国語原文p221参照の事。

<注359>=縁起第一法に関して、詳細は、中国語原文p306参照の事。

<注360>=〈説道非道智見清浄品〉

(Maggāmaggañāṇadassanavisuddhiniddesa)(Vm.697)

<注361>=

〈思惟色七法論〉(Rūpasattakasammasanakathā)(Vm.706)、

〈思惟非色七法論〉(Arūpasattakasammasanakathā)(Vm.717)。

<注362>=この四種類の色法に関して、中国語原文p183及びその後記載の内容を参照の事。

<注363>=あなたは、食生色法の支援の下に生起する所の、四種類すべての色法を識別しなければならない。当該の原則は、業生色、心生色と時節生色にも、同様に適用される。

<注364>=観の修習心:意門心路を観ずる。それはすなわち、一個の意門転向心、七個の速行心であるが、ある時には、その後に二個の彼所縁心も含む。意門転向心には、12個の名法があり、一つひとつの速行の名法は、34、33または32である。「表1b:意門心路」中国語原文p265参照の事。

<注365>=ここでいう「壊滅」は、”vaya”である:「寂滅」は”nirodha”である。この二つのパーリ語は、同義語ではあっても(それぞれ、この様に表現される)。

<注366>=〈説道非道智見清浄品〉

(Maggāmaggañāṇadassanavisudhiniddesa)(Vm.723)

<注367>=「第五法」に関しては、中国語原文p293及びその後に記載の内容を参照の事。

<注368>=業生色法の簡単な説明は、中国語原文p184及びその後に記載の内容を参照の事。

<注369>=離心路心(vīthimutta citta):結生心(paṭisandhi citta)、有分心と死亡心(cuti citta)。離心路心などに関する簡単な説明は、中国語原文p300の「表1d:死亡と結生」中国語原文p258及びp174の<注151>参照の事。

<注370>=ある時には、禅修行者は、今生からだけ観照を始め、その後に、過去生と未来世を観照する。

<注371>=心生色、時節生色と食生色の簡単な説明は、中国語原文p186及びその後に記載される内容を参照の事。

<注372>=過去の行(阿羅漢を証悟する前を指す)によって生じた所の、業力な、なお楽受と苦受を齎すけれども、しかし、阿羅漢を諸語した後の行は、如何なる業力も生じる事がないし、また、如何なる新しい果報も齎す事はない。中国語原文p51参照の事。

<注373>=因縁滅を観照する為の根拠とする第五法は、中国語原文p293参照の事。

<注374>=パオ・セヤドーが、禅修行者に向けて指導をする時、ある時は、先に今生を観照させ、その後に過去生と未来世を観照させる。

<注375>=離心路心などの簡単な説明に関しては、中国語原文p300の「表1d:死亡と結生」と、中国語原文p258及びp174の<注151>参照の事。

<注376>=また、中国語原文p306参照の事。

<注377>《大貪愛尽経》(Mahātaṇhāsaṅkhaya Sutta)(M。1.404)

<注378>=同上。

<注379>=〈観の汚垢論〉(Vipassannupakkilesakathā)では、以下の様に言う。禅修行者は、いまだ経験のしたことのない光明を体験するであろう。いまだ経験したことのない名色の智、喜び、疲れを知らぬ軽安、極めて微妙な楽、極めて強い信心(=確信)と決意、完璧なるバランス、持続的な策励、強固な正念と極めて安定した捨、これらのすべては、以前には経験したことがないものばかりである。これまで、経験したことがないが故に、禅修行者は、非常に容易に、これは道であり、果であると誤解し、それらに執着し、かつ、邪見と我慢(慢心)を形成する。そして、これらの現象は、所謂「観の汚垢」(vipassanupakkilesa)になる可能性がある。それらは非常に危険なものである。というのも、禅修行者をして、正道から偏離させ、邪道に進ませるからである、(Vm.634)。

<注380>=〈第四講 如何にして色法を識別するか〉中国語原文p178及びその後に記載の内容、及び、〈第五講 如何にして名法を識別するか〉中国語原文p257及びその後に記載される内容を参照の事。

<注381>=〈第六講 如何にして縁起の連結を透視するか〉中国語原文p239及びその後に記載される内容を参照の事。

<注382>=「如何にして思惟智を育成するか」中国語原文p330及びその後に記載される内容を参照の事。

<注383>=「如何にして生滅智を育成するか」中国語原文p330及びその後に記載される内容を参照の事。

<注384>=「如何にして壊滅智を育成するか」中国語原文p349及びその後に記載される内容を参照の事。

<注385>=第11番目の観智。

<注386>=ある種の情況の下、もし、禅修行者の観智が非常に強い場合、この心は生起しない。一番目の速行心は、「近行」(upacāra)で、すなわち、ここでの三番目の心である。また、「表1b:意門心路」中国語原文p265参照の事。

<注387>=それらは、37菩提分法(Bodhipakkhiyadhamma):四念処、四正勤、四神足、五根、五力、七覚支、八支聖道。簡単な説明は、中国語原文p384及びその後記載の内容、及び〈説智見清浄品〉(Ñāṇadassanavisuddhiniddesa)(Vm.817-826)を参照の事。

<注388>=例えば、入流道心は、前の三結(saṃyojana)を断じ除く:

1)有身見(sakkāyadiṭṭhi);

2)仏、法、僧に対する疑惑;

3)戒禁取。また、彼を、人趣より更に低い趣に、生まれ変わらせることになる、貪、瞋恚、痴を断じ除く事ができる。唯一、阿羅漢を証悟した時にのみ、完全に煩悩を断じ尽くすことができる。

<注389>=もし「予作」(parikamma)心が生起しないのであれば、これらの心は、第五、第六と第七番目の速行心(合計三個)でもって、必要とされる七個の速行心を構成する。

また、「表1b:意門心路」中国語原文p265参照の事。

<注390>=一番目、二番目と五番目の項目の省察は、自動的に発生する;三番目と四番目の項目は、意図的に省察しなければならないし、かつ、如何にして進行するかを知っていなければならない。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>