問7-3:「対象を縁に取る」とは、どの様な種類の心所ですか?
答7-3:すべての心(citta)と、相応心所(cetasika)は、みな対象を縁に取る。対象がなければ、それらは生起することができない。心と心所は、能縁であり、対象としての所縁(ārammaṇa)がない時、能縁(ārammaṇikadhamma)は、生起することができない。能縁(ārammmaṇika-ママ)は、所縁を縁に取ることの出来る法、または現象であり、言い換えれば、すなわち、対象を識知することのできる法である。
もし、識知されるべき対象がないならば、識知できる法もない。異なった組み合わせの心と相応心所は、異なる所縁を対象に取る。合計89種類の心(citta)と、52種類の相応心所(cetasika)があり、それらはみな、それぞれ個別の対象を縁に取る。
たとえば、道心、果心及びその相応心所(Maggacitta-cetasika)、Phalacitta-cetasika)は、唯一、
一個の対象ーー涅槃をのみ縁に取り、
入出息ジャーナ心とその相応心所は、唯一、
一個の対象ーー入出息似相を対象に取り、
地遍ジャーナは、唯一、地遍似相を対象に取る。
それらは、出世間心と色界心であるが、しかし、欲界心(kāmāvacaracitta)は、ある時は善きもの、ある時は悪いものという風に、異なる対象を縁に取る。
もし、あなたが、これらのことを詳細に理解したいのであれば、「アビダンマ」を学習しなければならない。
更に詳しく言えば《アビダンマッタサンガハ》(Abhidhammatthasaṅgaha)の中の、〈所縁の章〉<注392>である。