Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#47‐4

問7-5:もし人が、邪悪な動機を抱えて、ジャーナを求めて、それを達成したならば、この人にとって、ジャーナに到達することは、何の利益がありますか?

また、彼が、サンガのお金<注393>を持ち出して己自身の為に使い、かつ、その行為を間違ったものであると認めない場合で、この人が第四禅に到達することがあるならば、彼の心または見解が変化することはありますか?

答7-5:この種の状況は、居士と比庫によって、分けることができる。

もし、一人の比庫が、戒律に違反したならば(āpatti)、この事はジャーナを証得する為の障礙になる。

たとえば:もし、彼が、サンガの如法の資具を借用後、己自身のものとしたならば、ジャーナを証得することは難しい。彼がこの罪行(āpatti)を懺悔しない限り。<注394>。その意味はすなわち、彼によって私的に用いられた資具などと等価の資具を弁償しなければならず、また、その後に、サンガまたはもう一人の別の比庫に己自身の罪行を懺悔(āpatti-paṭīdesanā)しなければならない。

過失を認めて糺した後、彼は止観の修行を実践して、初めてジャーナ、聖道と聖果を証得することができる。

もし、過失を糺さないままであっても、彼が真にジャーナを証得することができたならば、それは、彼が真正の比庫ではなかったということである。この場合、所謂犯戒は、実際は犯戒に当たらない、ということになる。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>