次に、アングリマーラ尊者の物語について、考えてみる。
彼は出家して比庫になる前は、一人の悪名紛々で有名な殺人犯であった。
しかし、比庫になった後、彼は己自身の戒行を清浄にして、かつ、禅の修行の精進し、阿羅漢にを証悟する事ができた。
また、以下の事実を思惟して頂きたい:生死輪廻の中において、一人ひとりの人間は、みな、善き事も悪い事もなしていて、悪事を働いたことのない者はいない。<注396>
しかし、彼らが、禅修行の期間において、己自身の戒行を清浄にすることができるならば、それ以前の悪行は彼らのジャーナの証得の障礙になることはない。
当然、前提として、彼らは、かつて、五無間業(anantariyakamma)<注397>のどれをも成していない事。五無間業とは:
1)母殺し。
2)父殺し。
3)阿羅漢殺し。
4)悪心によって、仏陀に出血させる。
5)サンガを分裂せしめる。
もし、ある人が、以前に、これらの悪行のどれか一種類をなしているならば、彼は、ジャーナ、道と果を証得することはできない。
例えば、未生怨王(Ajātasattu)。未生怨王は、充分なハラミツを持っていて、《沙門果経》(Sāmañña-phala Sutta)<注398>を聞き終わった後に、入流者になることができたが、しかし、彼は己自身の父親ビンビサーラ王を殺したことによって、如何なる果位も証悟することができなかった。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>
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