南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#47-7

あなたは、ジャーナを証得した後において、この種の人の心または見解に変化があるかどうかを、問うている。ジャーナは、長時間、諸々の蓋を鎮伏することができる。「長時間」の意味は、もし、彼らが、一時間入禅するならば、その一時間の内は、諸々の蓋は生起することがない、ということである。

しかし、彼らが出定すると、諸々の蓋は、なお、不如理作意によって、再度出現する。故に、我々は、この種の人の心は、ジャーナによって変化を齎すことができるかどうか、断定的に言うことはできず、ただ、彼は、ジャーナの中において、諸々の蓋は生起しない、と言えるだけである。<注399>。

しかし、いくつかの例外はある。たとえば、大龍大長老(Mahānāga Mahāthera)は、止観の修習を60年以上続けたが、しかし、彼はなお、一人の凡夫(puthujjana)であった。状況はその様ではあっても、強くて力のある止観の修習によって、彼は、その60年の間、如何なる煩悩も生起することがでなかった。故に彼は、己自身は、阿羅漢であると思っていた。

しかし、彼の一人の弟子、法施阿羅漢(Arahant Dhammadinna)は、彼がいまだ凡夫であることを知っていて、彼は、この事実を知っていることを間接的に説明した。大龍大長老は、彼はいまなお凡夫である事を発見して、再度、観の修習を実践し、何分間の間に、阿羅漢を証悟したのである。

しかし、この様な例は、極めて特殊なものに属する。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>