あなたは、もう一つの事柄も、覚えておいた方がよいであろう:
彼は、教理(pariyatti)に博通しており、また、実修(paṭipatti)にも精通していて、業処導師(瞑想指導者)(kammaṭṭhānācariya)でありーー多くの阿羅漢が、彼の弟子であったーー法施尊者。
彼は、止観に精通していたが、しかし、内心において、相似した禅修行の体験によって、誤解が生まれることがある。故に、もしあなたが、「私はすでに初禅を証得した」等々と自認するのであれば、あなたは、多くの日数、多くの月日を用いて、徹底的に、あなたの体験を検査しなければならない。
なぜであるか?
もし、それが真正なジャーナと、真正な観智であるならば、それらはあなたに利益を齎し、かつ、あなたが真正な涅槃ーー上座部仏教の中における「浄土」<注401>を証悟するのを支援するであろう。
しかし、虚偽のジャーナと虚偽の観智は、この種の利益を齎すことはない。
あなたは真正なる利益を得たいか、それとも、虚偽の利益を得たいか?
この問題は、各々が、己自身に向かって問うて頂きたい。
こうしたことであるが故に、我々は、あなた方に、「私は初禅を証得した」等々と、他人に対して、急いで告げてはならない、と注意を促す。
というのも、ある種の人々は、あなたを信用しないが故に。
あなたの禅修行の体験は、真正である可能性もあるが、また、虚構である可能性もある。
まさに、大龍大長老の様に。
あなたは、この問題に注意を払わなければならない。