問7-11:禅修行者は、日常生活と止観の修行において、どの様に、如理作意(yoniso manasikāra)の練習をしますか?<注407>
答7-11:最も好い如理作意は観の修習である。もし、あなたが観の修習の段階まで修行したならば、あなたは、真正なる、最も好い如理作意を擁することになる。
もし、あなたが、日常生活の中において、観の修習ができるのであれば、それは善果を生じることができる。例えば、己自身自ら、涅槃の聖道聖果を見る等。
しかし、もし、あなたがいまだ観の修習の段階に到達していないならば、あなたは諸行無常(sabbe sañkhārā anicca)の事実を思惟しなければならない。これも如理作意であるが、しかし、力は非常に弱い、レベルの低いものである。
あなたはまた、四梵住(brahmavihāra)を修習してもよい。特に、捨梵住(upekkhābragma-vihāra)(を修習するのがよい)。これは殊勝な如理作意である。というのも、捨梵住の修習とはすなわち、業果の法則に基づいて、衆生に対応する事を意味しているが故に:
”Sabbe sattā kammassakā”ーー
「一切の衆生は、みな、業の主人である。」
あなたは、時には、不如理作意の後果を思惟してみるのもよい。不如理作意は次から次へと、踵を接して、多くの不善業を引き寄せるが、これらの不善業は、(あなたにおいて)四悪趣(apāya)に生まれ変わらせしめ、多くの苦痛を与えることになる。
この事に思いを致すことができるのも、また如理作意である。
あなたは、日常生活の中において、それを練習しなければならない。