Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#47-14

問7-13:セヤドーに、あの禅修行修習表についての説明をして頂けますか?

もし、この種のシステムに従って修行するならば、30種類以上の業処を修行しなければならないのでしょうか?

この様にすることは、どの様な利益がありますか?

答47-13:我々は、あの図表に、興味を感じない。あの図表は、図表が大変に好きな学校の教師が描いたものに基づいて、作製されたものである。

パオ森林僧院では、我々は、多くの種類の止業処を、あれら修習をしたいと思っている禅修行者に教導する。もし、彼らが業処のすべてを修習したいと思わないのであれば、そして、ただ一種類、例えば入出息念(Ānāpānassati)をのみ、修したいのだと思うならば、我々はその一種類の止業処をのみ、教導する。彼らにジャーナが擁される様になった後、我々は、彼らに直接、系統的に、順序よく観の修習を指導する。

止観の修習を実践する時、障礙が出現する可能性がある。たとえば、貪(rāga)、瞋(dosa)と妄想(vitaka)であるが、これらは、彼らの禅定と、観の修習に悪影響を及ぼすことがある。以下の禅修行業処は、これらの障礙を対治する所の、最も佳い武器である。

仏陀は《メギヤ経》(Meghiya Sutta)<注408>の中において、以下の様に、教導している:

Asubhā bhāvetabbā rāgassa pahānāya.

貪愛(rāga)を捨断したいのであれば、不浄(asubhabhāvanā)を修習しなければならない;

Mettā bhāvetabbā byāpādassa pahānāya.

瞋恚(byāpāda)を捨断したいのであれば、慈心(mettābhāvanā)を修習しなければならない;

Ānāpānassati bhāvetabbā vitakkupacchedāya.

尋(vitaka、妄想)を捨断したいのであれば、入出息念を修習しなければならない。

次に、定力を擁している心は、如実に究極法(paramatth-dhamma)<注409>を知見することができる。禅定の修行の中において、八定(samāpatti)は、非常に高度で、また深く、力のあるものである。故に、徹底的に八定を修行したいと思う人に対して、我々は、彼らにまた、遍禅を教導する。

もし、完全にあの図表を理解したいと思うならば、あなたは、道智と果智を証得するまで、止観の修習を実践しなければならない。唯一、その時に初めて、あなたは、完全にあの図表を理解することができる。

なぜ、我々は、あの図表に対して、興味を感じないのであるか?

というのも、一枚の紙では、全体的な体系を説明することができないが故に。

私は、かつて、ミャンマー語で、3600余ページという、多くの枚数<注410>を用いて、この修行体験全体の説明をなした。

一枚の紙では、足りないのである。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>