大分前の事ですが、
《千の風になって》
という歌がはやりました。
日本の大乗仏教は、お墓を重視していて、高価なお墓を買ったり、49日だ、三回忌だと言っては、人が集まりますから、
<お墓に死者はいない>と歌った
《千の風・・・》は、
大乗の僧侶方には不評だった様です。
有情が死ぬとき、一個の心を使います。
それが死亡心です。
次に、即刻、どこかへ生まれ変わりますが、その時使う心は、結生心といい、やはり、一個なのだそうです。
私はまだそこまで修行が出来ていませんが、パオ・メソッドで修行している者の内、縁摂受智の修習ができる人は、自分の前世を辿って行って、死亡心と結生心を、生き生きと確認できる様です。
オハナも、今頃はもう、どこかへ生まれ変わっている事でしょう。
オハナの亡骸は、精舎の庭に土葬しましたが、
【オハナはここにはいないのだな】
【でも、千の風になった訳でもない】
と思いながら、それでもお花を添えたり、お菓子を添えたりするのは、凡夫の情、という所でしょうか。