Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#48-1

<#48-1>シリーズは、中国語原文p356~p376までの、脚注の翻訳です。

<注391>=《蘊経》(Khandha Sutta)中国語原文p23において、当該の經を引用。

<注392>=例えば、菩提長老の《アビダンマ概要精解》

<注393>=仏陀は以下の様に制定した。比庫は、金銭を、どの様な形式においても、収受(受取り収める)、接収(接して収める)、擁有(所有する)、または処理すれば、それは皆、厳重な戒律違反(Vinaya)の行為になる。パオ・セヤドーは、この戒律を遵守し、かつ教導する。

<注394>=この問題は、二種類の戒律違反に関連する:一番目は、サンガの財産を利用する事(サンガは、金銭を処理する事は不可能である。しかし、居士は、サンガの為に、保管と処理が行える。もしかして、彼は、サンガからこの様にする様にと委託されてはいないとしても);

もう一つの問題は、金銭の使用と処理である。一番目の戒律違反では、

<注395>=<Sāmāvatīvatthu>(Dhp.A. 21-23)

<注396>=言い換えれば、もし、一人の人間が、過去において、悪行をなしたことが原因で、ジャーナを証得することができないのであれば、どの様な人であっても、ジャーナを証得することはできない。

<注397>=《潰爛経》(Parikuppa Sutta)(A. 5.129)。この五種類の業は「無間」と言う。というのも、それらは必ず、今生において熟し、かつ、無間大地獄または、その中のある種の小地獄に生まれ変わることになるが故に。未生怨王がそうであった様に。

<注398>=《沙門果経》(D. 1.253)

<注399>=ジャーナ、観智と見解に関して、問答7-7、中国語原文p364と問答7-9中国語原文p365参照の事。

<注400>=<観之汚垢論>(Vipassanupakkilesakathā)(Vm.733)

<注401>=浄土:大乗仏教のいう所の「西方浄土」「極楽浄土」、そこの教主の名前を阿弥陀仏といい、ただ彼の名号を唱えれば、そこに往生することが出来るとの事である。大まかに言えば、大乗仏教の伝統的な目標は、浄土に往生することであるが、その理由は、すべての往生者が、みな、仏陀になることができる、というものである。

そして、仏陀になったならば、再度戻ってきて、一切の世界の衆生を普度する。パオ・セヤドーがここでいう所の「上座部仏教の浄土」とは、大乗の聴衆の為に述べたもので、それは、涅槃の隠喩の一種である。彼は、涅槃を、どこか一つの場所として設定している訳ではなく、また、何らかの方式によって、「西方浄土」と、比較しようとしている訳でもない。

中国語原文p174問答3-12「出世間地(lokuttarabhūmi)」の解説を参照の事。

<注402>=色聚と究極色法の違いに関しては、中国語原文p202参照の事。

<注403>=ジャーナ、観智と見解に関しては、問答7-5、7-9を参照の事。

<注404>=異なるジャーナに関しては、「如何にしてジャーナを証得するか」中国語原文p82とその後に記載の内容を参照の事。

<注405>=ジャーナ、観智と見解に関しては、問答7-5、7-7参照の事。

<注406>=異なる禅定に関しては、問答3-1、中国語原文p160参照の事。

<注407>=如理作意と不如理作意に関しては、「如理作意と不如理作意」中国語原文p266参照の事。

<注408>=《美奇亜経》(A.9.3; U.31)

<注409>=中国語原文p35とp53において、仏陀のこれらの話を引用した。

<注410>=パオ・セヤドーの五冊の巨著《趣向涅槃之道》(Nībbānagāminīpaipadā)。

<注411>=心生色法に関する説明は、中国語原文p186を参照の事。止観の心が生じせしめ所の光がに関しては、問答4-10、中国語原文p252参照の事。

<注412>=この件に関しては、「非色七法」中国語原文p337とその後に記載される内容、及び「如何にして壊滅智を育成するか」中国語原文p349及びその後に記載される内容を参照の事。

<注413>=<壊滅随観智論>(Bhaṅgānupassanāñāṇakathā)(Vm.742)

<注414>=仏陀は《第二智事経》(Dutiyañāṇavatthu Sutta)の中において、かつて、この種の修法を指導したことがある。当該の經の中において、仏陀は、一つひとつの縁起支の現在、過去と未来の、法に依って作用する所の智を了知する事に関して説明した。

同時に、「当該の法住智(Dhammaṭṭhitiñāṇaṃ)、これもまた尽法(khayadhammaṃ)、

壊法(vayadhammaṃ)、

離法(virāgadhammaṃ)と

滅法(nirodhadhammaṃ)(と説いた)。義注では、「反観の観」(vipassanā-paṭī-vipassanā)(S.2.34)と言う。

<注415>=《蛇王経》(Ahirāja Sutta)が、《蘊護衛》(Khandha Paritta)と言われる理由は、当該の經が、異なる類別(蘊)に基づいて、一切の衆生に慈愛を散布するが故である:

四種類の蛇、足無衆生(魚、水蛭、ミミズなど)、二足衆生(取り、天神、人類)、四足衆生(象、犬、トカゲ等)及び多足衆生(蟻、ムカデ、蚊、サソリ、蜘など)。

<翻訳文責: 緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>