朝起きて、コーヒーを一杯飲んで、『親知実見』を一段落翻訳して、庭に出る。
オハナは、お墓にはいない事は知っているけれど、最初に、オハナのお墓に行って、お水を換えて、お花を飾る。
我々一人ひとりが業(カルマ・カンマ)の主人であるから、他人をコントロールできない。
保護犬だったオハナが、私の所へ来て、10年経って、私の元から去ったのは、私の業でもあり、彼の業でもあったのでしょう。
最近、<我々は業の主人>、という言葉、妙に納得する様になりました。
自分が、煩悩でイライラ、カッカした時、「業だな」「心の癖だな」と思い、不善な行為は断じて、善い行為を増やす、と決意する・・・
善行為は、積極的によい事をしてもよいが、ただ心を静かにしているだけでも、充分に善である。
以前は、自分をイライラさせる相手、環境が悪いと思っていたけれど、環境に引きずられる己自身の心の弱さが分かる様になってきました。
他人に属する事柄(他人の業)は、他人に返す・・・カエサルのものはカエサルへ。
他人の行為で、自分の心が、引きずられない様にする・・・
無理矢理、歯を食いしばってでも、という風でなく(それが必要な場合もあるけれど)、心が動揺したなら、次の心で、それを見守る、心を護る。
世に言う所の、<崇高な教え>は、教条主義に陥りやすいので、この点、注意する。
今日のトレトレは、バラ、グラジオラス、野三つ葉、山椒、トマト、ピーマン。