翻訳『親知実見』#49-2
その後、彼は、阿羅漢果定に入った。阿羅漢果定は、涅槃を所縁とする阿羅漢果心が、長時間継続的に生起するものを言う。
当該の観の修習は強くて力のあるものであるが故に、阿羅漢果定もまた強くて力のあるものとなる。
観の修習の効力と阿羅漢果定の効力によって、この種の苦受は、仏陀の般涅槃の日までの、10か月の間、生起することがなかった。
しかし、仏陀は、般涅槃<注418/A)まで、毎日、阿羅漢果定に入る必要があった。
雨安居の後、仏陀は、四方に遊行し、最後に、ベサーリー(Vesāī)に来た。ウェサーカの月の、満月の三か月前、すなわち、太陽暦2月の満月の日、仏陀は、チャーパーラ廟(Cāpāla Cetiya)において、寿行の捨棄(āyusṅkhāra ossajjana)を決定した。
何の意味であるか?
仏陀はその日、以下の様に決意した:
”Temāsamattameva pana samāpattiṃ samāpajjitvā tato paraṃ na samāpajjissāīti cittaṃ uppādesi.”
「今日より、ウェサーカ月の満月の日まで、私は、阿羅漢果定に入るが、その後においては、二度と入ることはない。」(D.A2.169)