Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#49-3

仏陀の期待

うして、仏陀は、その日、大林(Mahāvana)精舎の講堂での集会において、比庫サンガの前において、彼はすでに寿行を捨棄した事を宣言した。彼は比庫サンガに向かって以下の様に言った:

”Tasmātiha、bhikkhave、ye te mayā dhammā abhiññā desitā、te vo sādhukaṃ uggahetvā 

āsevitabbā bhāvetabbā bahulīkātabbā.”

「故に、比庫たちよ。

あれら、私がすでに証知して、かつ教導した所の法を、あなた方は、しっかりと学んだ後、習近し(繰り返し修習する事)、修習し、それら(の修習)を多くなすべきである」(D.2.184 )。

仏陀は、彼自ら証知した所の、法をのみ、教導した。

仏陀は、ここにおいて、彼の教法への期待を宣告し、かつ、以下の様に指示した:

1)彼らは、仏陀の教法(Dhamma)を徹底的に暗記し、念誦する事。しかし、ただ学び暗記し、念誦するだけでは足りない。

これが、仏陀の一番目の希望、期待である。

2)仏陀は、彼らは、彼の教法を実践しなければならない、と指示した。

そのパーリ語は āsevitabbā であるが、それは、我々は、法を了知する為に、禅の修習を反復して繰り返し実践しなければならないことを意味する。

ここ(中国語訳)では、習近と訳した。

これが、仏陀の二番目の希望、期待である。

3)最後に、仏陀は、彼らは法を修習(bhāvetabbā)しなければならない、と教導した。

我々が、法を実践する時、成長と進歩は欠かせないものとなる。

何の意味であるか?

我々が法を修習する時、心路の中において、善法(kusaladhamma)のみが生起する(はずである)。

すなわち、戒善法(sīlakusaladhamma)、

定善法(samādhikusaladhama)、

慧善法(Paññakusaladhamma)である。

これらの善法は不断に、絶え間なく阿羅漢果を証悟するまで、生起し続けなければならない。

仏陀の弟子(sāvaka)であるならば、阿羅漢果を証悟して初めて、彼の修行(bhāvanā)は、完成した、と言える。

故に、仏陀の弟子は、目標を達成する日まで、仏陀の教法を修習しなければならない。

阿羅漢果を証悟する為に、我々は一筋に修行しなければならない。

まさにこのことが原因で、仏陀は、bahulīkātabbā(多くをなすべきである)、すなわち、不断の修行する様にという、指示を与えたのである。 

これが、仏陀の三番目の希望・期待である。

これらの期待が、仏陀の心路の中において出現した。

何故であるか?

”Yathayidaṃ brahmacatiyaṃ addhaniyaṃ assa

ciraṭṭhitikaṃ”

「かくの如くに、この梵行は、

久しく、保つ事を得なければならない、

久しく、留まる事を得なければならない。」(D. 2.184)。

以上(の事柄)は、純正な教法が、長く久しく伝承されていく様にと(指示されたのである)。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>