南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#49-5

我々は如何にして世間を利益するか

我々は、以下の様にして初めて、仏陀の希望の下において、生きているのだ、と言える。

我々は、なぜ、この様にしなければならないのか?

”Tadassa bahujanahitāya bahujanasukhāya

lokānukampāya atthāya hitāya sukhāya

devamanussānaṃ”

「多くの人々の利益の為に、

多くの人々の楽の為に、

世間を憐憫し、

諸々の天と人々の利益、福利、楽しみの為に。」(D.2.184 )

もし、我々が、仏陀の期待通りに修行するならば、我々は、仏法を遺産として、後の世代に伝承することができ、諸々の天と人類に以下の様な教誨を教導することができる;

1)徹底的に、仏陀の教法を学び、暗記し、念誦する。

2)仏陀の教法を修行し、かつ、己自ら、それらを知見し、了知する。

3)仏陀の教法を、阿羅漢果を証悟するまで、修行する。

この様に実践する事を通して、諸々の天と人類は、涅槃を証悟するまで、この世間において、利益と安楽を得ることができる。

しかし、もし我々が、仏法を研鑽も、修習も、暗誦も、念誦も、修行もしないのであれば、己自身に仏法の智慧がない、というのに、如何にして、諸々の天と人類に仏陀の教法を教えようと言うのか?

如何にして、彼らに仏法を修行せしめようと言うのか?

こうしたことから、もし、我々に、仏陀の教法に対して、充分に強い信心(saddhā=確信)があるのであるならば、我々仏弟子は、阿羅漢果を証悟するまで、これらの教法を学び、暗誦し、念誦し、修行の中において、それらを実践し、それらを育成しなければならない。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>