我々は如何にして信心(=確信、以下同様)を表現するか
あなたは、仏陀の教法に対して、充分に強い信心を擁しているか?
《陶師経》(Ghaṭīkāra Sutta)の義注の中において、以下の様に言う:
”Pasanno ca pasannākāraṃ kātuṃ sakkhissati.”
「信心(=確信)のある者は、修と学によって敬虔を表現する。」(M. A. 2.284)
もし、一人の男性または女性が、敬虔さを表現できないのであれば、我々は、彼または彼女が、真正なる信徒である、とは言えない。
もし、あなたに、仏陀の教法に対して、真正なる信心(=確信)があるならば、あなたは、それらを徹底的に学ばなかればならないし、それらを修行しなければならないし、かつ、阿羅漢果を証悟するまで、決して止まる事がない。
これらは、仏陀が般涅槃する前(に残した所)の重要な遺教である。
もし、我々が、父母に対して信頼があれば、我々は、彼らの教導を受け入れる。
同様に、我々は、我々の父の話を聞き、従わねばならないーー我々の父とは仏陀である。
我々は、何を学び何を修行しなければならないのか
では、これらの教法とは何であるか?
それらは:
●四念処(cattāro stipaṭṭhānā)
●四正勤(cattāro sammappadhānā)
●四神足(cattāro iddhipādā)
●五根(pañcindriyāni)
●五力(pañca balāni)
●七覚支(satta bojjjañgā)
●八支聖道(ariyo atthañgiko maggo)(D. 2.184)
それらは、合わせて37菩提分法(budhipakkhiyadhamma)と呼ぶ。
我々は、以下に、簡単に説明する。
パーリ聖典の中において、仏陀は聴衆の根性(性質、性格)に基づいて、異なる方式を用いて、37菩提分を教導した。
もし、それを濃縮するならば、ただ、八支聖道となる;
更に纏めれば、ただ三学になる:戒、定、慧である。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>