Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#49-9

人間、一人ひとりには、皆、心がある。

心が、禅定を通して、完全に展開されたならば、観智、またすなわち、智慧であるが、それは、一人の人間を、貪染と生死輪廻の中から、徹底的に解脱せしめることができる。

しかし、禅定は、戒を基礎していなければならない。

在家居士で言えば、五戒は必要である。すなわち:

1)殺生から離れる。

2)与えれていないものを取る事から離れる。

3)欲邪行から離れる。

4)虚妄語から離れる。

5)放逸の因となる諸々の酒類から離れる<注420>。

この五戒は、すべての在家の仏弟子が、皆、遵守しなければならないものである。この五戒の内のどれか一条を違反するならば、この人は、即刻、自動的に真正なる仏弟子(upāsaka近事男/upāsikā近事女)の身分を失い、かつ、彼の、三宝への帰依もまた失効する。

仏弟子はまた、邪命から遠く離れなければならない。すなわち、殺生、不与取(窃盗)、欲邪行、虚妄語、離間語、粗悪語または雑穢語等の手段でもって獲得した銭財を使用してはならない。彼らは、五種類の正当でない交易に従事してはならない:武器の販売、人間の売買、と殺される畜生の売買、酒類などの麻酔品の売買、及び毒薬の売買。

こうした事から、戒行は、すべての仏弟子にとって、非常に重要なものとなる。このことは、ただ涅槃を証悟するためにだけでなく、死後、善趣に生まれ変わることができる様になる為でもある。戒行が不清浄な者は、死後、善趣に生まれ変わることは容易ではない。というのも、死亡する時、それらの悪行が、通常、彼の心に粘着し、彼の心中に浮現するが故に。

それらの悪行の一つを、心の所縁として取れば、この人は、通常は、四悪趣の一に堕落する。

戒行は、今生において、利益と楽しさを得る為にも、非常に重要である。

清浄なる戒行がないのであれば、利益と楽しさを得ることは出来ない。

性格が悪劣な人間は、当然、どこにおいても、仇敵が存在する;そして、どこにおいても仇敵の存在する人間は、如何なる楽しさをも、得ることができないのである。

<翻訳文責: 緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>