翻訳『親知実見』#49-10(387/446)
止禅と観禅
仏陀はまた、以下の如くの教導を行った:
”Yo ca vassasataṃ jīve、dussīlo asamāhito;
ekāhaṃ jīvitaṃ seyyo、sīlavantassa jhāyino.”
もし、人が100歳まで生きても、戒もなく、定力もないのであれば、一日生きて、戒を持して、禅定の修行をするのがよい。(Dhp.110)
何故であるか?
というのも、禅定を通して、完全に展開された心は、大智慧を生起することができ、己自ら涅槃を見ることができ、己自ら、生死輪廻の終点を見ることができ、かつ、一切の煩悩と痛苦を根こそぎ断じ除くことができるが故に。
こうしたことから、我々は、戒行を基礎として、止禅と観禅を修行する必要があるのである。
我々は、四念処(Cattāro satipaṭṭhānā)を修行しなければならない。
1)身随観念処(kāyānupassanā satipaṭṭhāna)
2)受随観念処(vedanānupassanā satipaṭṭhāna)
3)心随観念処(cittānupasanā satipaṭṭhāna)
4)法随観念処(dhammānupassanā satipaṭṭhāna)。
「身」(kāya)とは何であるか?
観の修習には、二種類の身がある:
色身(rūpa-kāya)と名身(nāma-kāya)である。
色身は、28種類の色法によって構成されており、名身はすなわち、心とその相応する心所によって構成されている。
言い換えれば、この二種類身とは、すなわち、色、受、想、行、識の五蘊(khandha)である。
そして、呼吸、32身分の不浄(asubba)、四界等の止禅の所縁もまた「身」(kāya)と呼ぶ。
何故であるか?
それらもまた、色法によって構成されているが故に。
例えば、呼吸は、心生色聚によって構成されている。もし、これらの色聚を分析するならば、一粒一粒の色聚の中には、9種類の色法が含まれていることを発見する:地界、水界、火界、風界、色彩、匂い、味、食素(栄養素)と音声。
骨格は、同様に、色聚によって構成されており、生きている人間の骨格は、合計6種類の色聚が存在する。もし、これらの色聚を分析するならば、それえは53種類の色法が含まれていることを発見するであろう。<注421>