Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#49-11

故に、身随観(kāyānupassanā)において、仏陀は、二種類の禅修行を教導した:止と観である。

入出息念(ānāpānassati)と32身分などは、身随観の内に含まれる。

故に、もし、あなたが、入出息念を修習しているのであれば、あなたは、すなわち、身随観を修習しているのである。これらの止禅は、すべて身随観に属する。あなたが、止の修習に成功した後、観禅に転向して、色法と名法を識別し、分析することができる。

色業処(Rūpakammaṭṭhāna)を修習する時、あなたは、28種類の色法を識別するが、それもまた身随観である;

名業処(Nāmakammaṭṭhāna)を修習する時、あなたは、受を識別するが、それは受随観(vedanānupassanā)である;

心を識別する時、それは心随観(ciṭṭānupassanā)である;

触を識別する時、それは法随観(dhammānu-passanā)である。

しかし、ただ受、心と触を識別するだけでは、観智を成就するには充分ではなく、そのほかに、残りの相応心所を識別しなければならない。

名法と色法を識別した後、我々は、それらの過去、現在と未来の因と縁を識別しなければならないが、これは縁摂受智(Paccayapariggaha-ñāṇa)である。

縁摂受智を成就した後、あなたは、正式に観の修習を開始するが、この時、あなたは、色、受、心または触を観照する事に重きを置く。

しかし、「重きを置く」は、あなたがただ一種類のみ識別すればよいのだ、という事を意味しない。

あなたは、色法を識別する事に重点を置いてもよいが、しかし、名法を疎かにしてはならなず、同時に、受、心と法の識別も実践しなければならない。<注422>

あなたは受の観照に重きを置いてもよい。しかし、ただ受を観照するだけでは足りないのであって、あなたはそれと相応する所の、名法、依処と所縁を観照しなければならない;

五種類の依処と、それらの所縁はみな色法である。心随観と法随観に関しても、また同様である、<注423>

ここにおいて、vipassanā は、名色法およびその因の無常・苦・無我の本質を観照するものである(という事が分かる)。

これらの法は、生起するやいなや、即刻滅し去る。

故に、それらは無常である;

それらは、不断に生・滅の圧迫に瀕しており、故にそれらは苦である。

これらの法の中において、霊魂というものは存在せず、堅固な、永恒ので不滅な実質は存在しておらず、故に、それらは無我である。

名色法及びその因と果の無常・苦・無我の本質を識別する事は、すなわち、観禅と言う。

あなたが、止禅と観禅の修行をする時、我々は、あなたが、四念処を修行しているのだ、と言うことができる。

<翻訳文責:緬甸パオ森林寺僧院ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>