Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#49-16

仏陀の比庫に対する提案

仏陀は何故以下の様に言うのか:

「故に、アーナンダよ。

己自身を島として住し、

己自身を帰依(処)とし、

他のものを帰依(処)としない;

法を島として住し、

法を帰依(処)とし、

その他のものを帰依(処)としない。

アーナンダ、比庫は如何にして、

己自身を島として住し、

己自身を帰依(処)とし、

他のものを帰依(処)にしないのか;

如何にして、

法を島とし、

法を帰依(処)とし、

その他のものを帰依(処)としないのか?」(D. 2.165)

仏陀の回答は以下の通りである:

”Appamattā satīmanto susīlā 

hotha bhikkhavo、

Susamāhitasaṅkappā、sacittamanurakkhatha.”

「比庫は不放逸たれ。

念を具備し、

浄戒を持し、

定を得る事に善く、

善く思惟し、

己自身の心を保護すべし。」(D. 2.185)

”Susīlā hotha bhikkhavo”の意味は:

「比庫たちよ。

あなた方は、己自身の行為を浄化することに努力しなければならない。

完全なる清浄な戒行を具足した比庫になる様、努力しなければならない。」

この事は、我々は、戒学を育成する必要がある事を意味している。

すなわち:正語、正業と正命。

Susamāhitasaṅkappā:

”susamāhita”の意味は、我々は必ず、定学を修習しなければならない、という事である。

すなわち:正精進、正念と正定。

”saṅkappā”は、慧学の事。

すなわち、正思惟と正見。

”Appamattā”の意味は、観智を通して、諸行法の無常・苦・無我の本質を照見する事。

”Satīmanto”の意味は、我々が戒、定、慧の三学を修習する時、充分は正念を擁する必要がある、という事。

こうした事から、我々は、正念を擁し、かつ、不放逸でなければならない。

何において正念を保持するか?

四念処、名色法、または諸行法において正念を保持する必要がある。

最後に仏陀は言う:

”Yo imasmiṃ dhamma-vinaye、

appamatto vihessati.

Pahāya jātisaṃsāraṃ、

dukkhassantaṃ karissati.”

「この法と律において、

不放逸に住む者は、

生死輪廻を捨て、

苦の果てるを成す」 

故に、もし、生死輪廻の終点に到達したいと願うならば、我々は仏陀の教導、すなわち、八支聖道を遵守しなければならない。

我々をして、臨終の時が来る前に、精進努力せんものを!

一切の衆生、安楽であれ、と願う!

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>