仏陀の比庫に対する提案
仏陀は何故以下の様に言うのか:
「故に、アーナンダよ。
己自身を島として住し、
己自身を帰依(処)とし、
他のものを帰依(処)としない;
法を島として住し、
法を帰依(処)とし、
その他のものを帰依(処)としない。
アーナンダ、比庫は如何にして、
己自身を島として住し、
己自身を帰依(処)とし、
他のものを帰依(処)にしないのか;
如何にして、
法を島とし、
法を帰依(処)とし、
その他のものを帰依(処)としないのか?」(D. 2.165)
仏陀の回答は以下の通りである:
”Appamattā satīmanto susīlā
hotha bhikkhavo、
Susamāhitasaṅkappā、sacittamanurakkhatha.”
「比庫は不放逸たれ。
念を具備し、
浄戒を持し、
定を得る事に善く、
善く思惟し、
己自身の心を保護すべし。」(D. 2.185)
”Susīlā hotha bhikkhavo”の意味は:
「比庫たちよ。
あなた方は、己自身の行為を浄化することに努力しなければならない。
完全なる清浄な戒行を具足した比庫になる様、努力しなければならない。」
この事は、我々は、戒学を育成する必要がある事を意味している。
すなわち:正語、正業と正命。
Susamāhitasaṅkappā:
”susamāhita”の意味は、我々は必ず、定学を修習しなければならない、という事である。
すなわち:正精進、正念と正定。
”saṅkappā”は、慧学の事。
すなわち、正思惟と正見。
”Appamattā”の意味は、観智を通して、諸行法の無常・苦・無我の本質を照見する事。
”Satīmanto”の意味は、我々が戒、定、慧の三学を修習する時、充分は正念を擁する必要がある、という事。
こうした事から、我々は、正念を擁し、かつ、不放逸でなければならない。
何において正念を保持するか?
四念処、名色法、または諸行法において正念を保持する必要がある。
最後に仏陀は言う:
”Yo imasmiṃ dhamma-vinaye、
appamatto vihessati.
Pahāya jātisaṃsāraṃ、
dukkhassantaṃ karissati.”
「この法と律において、
不放逸に住む者は、
生死輪廻を捨て、
苦の果てるを成す」
故に、もし、生死輪廻の終点に到達したいと願うならば、我々は仏陀の教導、すなわち、八支聖道を遵守しなければならない。
我々をして、臨終の時が来る前に、精進努力せんものを!
一切の衆生、安楽であれ、と願う!
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>