次に、もし、弟子が、阿羅漢道(Arahattamagga)と阿羅漢果(Arahattaphala)を通して四聖諦を知見したならば、彼の観智は、彼をして輪廻を離脱する事を導くことができる。般涅槃の後、彼は必ず、涅槃に到達する事が出来、二度と、どの様な痛苦に出会うことはないく、二度と、生、老、病、死などを有することがない。
これらの利益は、弟子が、恭敬し、師長に四資具を供養する行為より、更に高貴である。たとえ、弟子が供養した資具を積み重ねて、その高さが、須弥山より高くても、これらの供養は、師長の恩徳に報いるには足りない。というのも、生死輪廻から離脱する事、生、老、病、死から離脱する事の方が、更に尊いからである。
弟子が了知する所の四聖諦とはな何であるか?
1)苦聖諦(Dukkhasacca):これがすなわち、五取蘊である。もし、弟子が師長によって苦聖諦を了知したならば、この種の観智は、恭敬し、師長に四資具を供養する行為より、更に尊い。
2)苦集聖諦(Samudayasacca):これはすなわち、縁起である。もし、弟子が師長によって、苦集聖諦を了知したならば、この種の観智もまた、恭敬し、師長に四資具を供養する行為より、更に尊い。
3)苦滅聖諦(Nirodhasacca):これはすなわち、涅槃である。
もし、弟子が、師長によって、苦滅聖諦を了知したのであれば、この種の観智もまた、恭敬し、師長に四資具を供養する行為より、更に尊い。
4)苦の滅に向かう道聖諦(maggasacca):これはすなわち、八支聖道のことである。またすなわち、観智(vipassanāñāṇa)と道智(Maggañāṇa)である。
もし、弟子が、師長によって、観智と道智を具足したのであれば、これらの観智は、恭敬し、師長に四資具を供養する行為より、更に尊い。というのも、これらの観智の智慧は、彼をして生死輪廻から離脱せしめるが故に。また、恭敬し、四資具を供養する行為は、生死輪廻から離脱する為の、直接の原因になることはないが、しかし、四資具を供養することは、間接的に、サマタ・vipassanā(止観)の修行及び涅槃を証悟する為の助縁とすることは可能である。