続いて、仏陀はこの14種類の布施の利益について説明する:浄心によって、動物に布施をするのは、100倍の布施の効果を期待できる。
その意味は、100世の中において、果報が生じる、という事である。ここでいう「浄心」とは、何等の見返り、例えば、布施を受け取った側からの援助などを求めない事を言う。
業果の法則に対して充分な確信を持つ者にとって、彼が布施をするのは、ただ善業を累積したいが為である。
例えば、誰かが、犬に餌を上げる時に、「これは私の犬だ」と思うならば、この種の考え方は、清浄心ではない。ただし、もし、ある人が、鳥、例えば鳩に餌を上げるならば、この種の布施は清浄である。というのも、彼は、鳥から、どの様な見返りも求めないが故に。この事は、以下に述べる例についても、同様である。
例えば、一人の人が、比庫に対して、必需品を布施して、彼の商売に成功を齎す様に願ったのであれば、この布施は、清浄心で行われたのではない。この種の布施波羅蜜、殊勝な利益を齎すことはできない。
仏陀は更に一歩進んで言う:
浄心でもって、無徳の凡夫に布施したならば、1000倍の布施の果報を期待できる。
有徳の凡夫に布施したならば、10万倍の布施の果報を期待できる。
外道の離欲者に布施したならば、1万億倍の果報を期待できる。
入流者を証悟しようと修行している行道者に対して布施したならば、無数、無量の布施の果報を期待できる。
いわんや、入流者に対して、
いわんや、一来果を証悟しようと修行している行道者に対して、
いわんや、一来者に対して、
いわんや、不来果を証悟しようと修行している行道者に対して、
いわんや、不来者に対して、
いわんや、阿羅漢果を証悟しようと修行している行道者に対して、
いわんや、阿羅漢に対して、
いわんや、独覚仏に対して、
いわんや、如来、阿羅漢、正自覚者に対して。
ここでいう布施とは、一膳の食事に足りる食べ物を言う。
もし、布施者が、何回も布施するならば、例えば、年間、月間布施を続けるならば、これらの布施の利益は、言葉では語れないほどのものとなる。
以上は、異なる種類の個人施(pāṭipuggalika dakkhiṇa)(の説明)である。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>
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