南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#51-11

仏陀は更に一歩進んで説明する:

「もし、有徳者が、無徳者に布施をした時、如法に得たものである事と、浄信の心<注428>によって、業の果報は広大で有る事を信じるならば、当該の布施は施主の因によって浄化される。」

殊勝な利益を得るためには、施主は、四項目の条件を具備していなければならない。その様に(条件が揃っているの)であるならば、受け取る側が、徳行の無い人であっても、当該の布施は、施主によって浄化される。

義注では、ヴェッサンタラの例を挙げている。

我々の菩薩が、過去の一生において、ヴェッサンタラとして生まれ、彼の息子と娘(すなわち、未来のラーフラと蓮華色(Uppalavaṇṇā))を徳行の無い、品性下劣のジュージャカ(Jūjaka)婆羅門に布施した。

この布施は、ヴェッサンタラが、布施ハラミツを円満する最後の一回であった。この最後のハラミツを円満した後、彼は正覚を証悟する準備に入り、ただ機の熟するのを待った。

この一回の布施ハラミツと、それより前の、その他のハラミツによって、彼が、一切知智(sabbaññuta-ñāṇa)を証悟するのは、必定であった。

こうしたことから、我々は、あの時の布施は、彼が正覚を証悟する為の助縁であり、それはヴェッサンタラによって、浄化されたのである、という事が出来る。

当時のヴェッサンタラは、徳行があり、品性が善良であった:布施した品は、正当な手段によって、獲得したものである;

彼の心は、清浄で、汚染がない。

というのも、彼には、ただ一つの願望ーー正覚の証悟ーーしかなかったが故に;

彼は、業果の法則及びその果報に対して、充分に強い信心(=確信)を擁していた。

こうしたことから、あの時の布施は、施主によって浄化されたのである。(M.A.3.381)

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>