仏陀は更に一歩進んで説明する:
「もし、有徳者が、無徳者に布施をした時、如法に得たものである事と、浄信の心<注428>によって、業の果報は広大で有る事を信じるならば、当該の布施は施主の因によって浄化される。」
殊勝な利益を得るためには、施主は、四項目の条件を具備していなければならない。その様に(条件が揃っているの)であるならば、受け取る側が、徳行の無い人であっても、当該の布施は、施主によって浄化される。
義注では、ヴェッサンタラの例を挙げている。
我々の菩薩が、過去の一生において、ヴェッサンタラとして生まれ、彼の息子と娘(すなわち、未来のラーフラと蓮華色(Uppalavaṇṇā))を徳行の無い、品性下劣のジュージャカ(Jūjaka)婆羅門に布施した。
この布施は、ヴェッサンタラが、布施ハラミツを円満する最後の一回であった。この最後のハラミツを円満した後、彼は正覚を証悟する準備に入り、ただ機の熟するのを待った。
この一回の布施ハラミツと、それより前の、その他のハラミツによって、彼が、一切知智(sabbaññuta-ñāṇa)を証悟するのは、必定であった。
こうしたことから、我々は、あの時の布施は、彼が正覚を証悟する為の助縁であり、それはヴェッサンタラによって、浄化されたのである、という事が出来る。
当時のヴェッサンタラは、徳行があり、品性が善良であった:布施した品は、正当な手段によって、獲得したものである;
彼の心は、清浄で、汚染がない。
というのも、彼には、ただ一つの願望ーー正覚の証悟ーーしかなかったが故に;
彼は、業果の法則及びその果報に対して、充分に強い信心(=確信)を擁していた。
こうしたことから、あの時の布施は、施主によって浄化されたのである。(M.A.3.381)