南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#51-12

ある人が、徳行無く、その心は不清浄で、執着、瞋恚に満ち、業果の法則を信じず、正当でない方法で獲得したものを、徳行のある人に布施したならば、この種の布施は、受者の因によって、浄化される。

義注は、漁夫の例を挙げている。

一人の、スリランカのカルヤーニ(Kalyānī)の河口に住んでいる漁夫が、かつて、三度、一人の、すでに阿羅漢を証悟した大長老に食べ物を供養した。

臨終の時、漁夫は、大長老に対してなした所の、供養を思いだし、心中に、天界の美しい風景が現起(現象)した。

そして、この世を去る前に、親戚たちに言った:

「あの大長老が私を救ってくれた!」

そして、死後、彼は天界に往生した。

この種の情況において、漁夫は徳行無く、品性は劣悪であったが、しかし、布施の受者が、有徳の人であったため、この布施は、受者の因により浄化されたのである。

徳行の無い人で、その心が不清浄で、執着、瞋恚等で充満していて、業果の法則を信じず、不当に得たものを、一人の徳行の無い人に布施する時、この種の布施は、施主をも、受者をも因とせず、浄化されない。

義注では、一人の猟師の例を挙げている。

その猟師は、死後、餓鬼趣に生まれ変わったが、彼の妻が、彼の名義でもって、一人の戒徳のない、品性が下劣な比庫に布施をした。その為、その餓鬼は、「サードゥ」(Sādhu)という随喜の言葉を述べることができなかった。

何故であるか?

というのも、施主も徳行の無い、品性が下劣な人間であるーー彼女は猟師の妻として、夫と共に動物を殺した;

また同時に、彼女が布施したものは、不当な手段で獲得したもの、すなわち、動物を殺して得たものであった;

彼女の心は、不清浄に満ちていた。

というのも、彼女が(己自身の心が不清浄である事)を知っているならば、夫と共に、動物を殺すという行為をしないが故に。

彼女は、業果の法則、及びその果報に関して、充分に強い信心(=確信)がなかった。もし、彼女が、業果の法則を、深く信じるならば、殺生はしないはずである。

受者も徳行が無く、品性が下劣である時、この種の布施は、施主の因にもよらず、受者の因にもよらず、浄化されることがない。

彼女は、同じ方法によって、三度、布施を行ったが、しかし、何等のよい結果が生まれることはなかった。

その餓鬼は叫んだ:

「一人の戒徳のない人間が、三度、私の財産を盗んだ。」

その後、猟師の妻は、一人の戒徳のある比庫に食べ物を供養した所、当該の布施は、浄化することを得た。

その時、餓鬼は随喜して、「サードゥ」と言う事が出来たため、餓鬼趣から離脱することができた。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>