Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#52-1

<#52-1>は、中国語原文p400~p426までの脚注の翻訳です。

<注426>=布施が行われた後の開示(法話)。まさに、ここでの状況と同じである。パーリ語では、anumodana開示(法話)と言う。modanaとは「歓喜」、anuとは「重複して」という意味。anumodana開示(法話)とは、すなわち、施主の心を激励する随喜の開示(法話)すなわち、励ましの法話、である。彼らが行った善業と功徳を増強せしめて、これを信に銘記させる。

<注427>=《法句義注・護眼長老の物語》(Cakkhupālattheravatthu)(Dhp.A. 1)

<注428>=期待や執着、憤怒などがない。

<注429>=種、すなわち、輪廻再生に到らせる種の事:無明、愛と業力。

<注430>=ヴェサリーは、かつて、干ばつ、飢餓、邪悪アカ(下等の天神)と疫病に侵害された都市であった。ヴェサリーの住民は、仏陀に対して、彼らを助けてくれる様に頼んだ。仏陀は、彼らの《宝経》(Ratana Sutta)を、護衛として教導した。

<注431>=《パッターナ》(Paṭṭhāna、アビダンマ第七部論)「善三法」(Kusalattika1.423)

<注432>=時節生色に関しては、中国語原文p187、参照の事。

<注433>=観智において、通常は、業が未来において、果報を生じせしめない様にすることが出来る。故に、「業の尽きるを促す業」(kammakkhayakarakamma)と呼ぶ。

厳格に言えば、ただ、四道智のみが、真正に業尽の尽きるを促す業である。観智は、時には、随眠を因として、善の果報を齎すこともあるが、しかし、強くて力のある観智(少なくとも壊滅智の段階まで修行済み)は、道智の生起する近因であるが故に、業の尽きるを促す業、と呼ぶこともできる。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>