以前買って、長く本棚にしまってあった
『一休道歌』(バグワン著)
を取り出して、読んでみる。
最近、老人向け体操教室に行くと、やたら短歌が好きな
おばぁさんがいて、ご自分の作った短歌を短冊に書いたものを、結構な枚数、せっせと私に渡して、読め、読んだら褒めろ、と言ってくる。
私はこれが苦手。
私が好きな歌詠み人は、一休さん、良寛さん、種田山頭火。後は、中国禅宗の公案(公案は、短歌ではないけれど)。
一休さん、良寛さんの歌は、<道歌>に分類されるものと思われる。
一休さんの歌は、反骨精神一杯で頼もしいし、良寛さんは優しさ一杯(良寛さんの漢詩は、当時の政治・世相を批判したものらしいですが、これは、寡聞にして、読んだことがありません)。
種田山頭火の歌は、人間の弱さにのた打ち回っていて、切ない。
彼は、自由律俳句がいい・・・
【分け入っても分け入っても青い山】。
山頭火が尊敬した、放哉の
【咳しても一人】もいいし、
詠み人不明の、
【咳しなくても一人】は、もっと好き(笑)。
もう私も先がないので、近所のおばぁさんが、高級なレストランに行った時の感動を短歌にしたものとか、田舎のちょっとした有名な、小ぶりな石柱を見た時の感動とか、正直、あまり読みたいと思わない・・・
今は、不必要に、起心動念するのが、つらい。
(石柱なんか、若い時に、随行通訳で中国に行って、雲南省昆明の石林、桂林の石林などなど、何度も、見ているもの~笑)。
ただ、短歌多作の、お披露目好きの、このおばぁさんを絶賛する方もいる。
いま流行の<アンチ・エイジング>、
年をとっても頭を使って、呆けない様に、色々なことにチャレンジして、暮らしましょう・・・でも、なんだかそれが、度を越して、一種の、脅迫概念レベルになってしまっていて、みなで、アンチ・エイジングの大合唱、というのは、如何なものか?
人間、呆ける時は呆ける。