南伝仏教のDhamma book

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般若の独り言~中道と中庸

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 我々凡夫には、中道も中庸も、難しい。

政府が、人々が年老いた後、本人また、お世話をする家族が認知症で苦しまない様にと、各種の施策を策定してくれるのはありがたいけれど、受け取る側が行き過ぎて、よりよく生きる為の手段としての、アンチ・エイジングが、いつのまにか、手段でなく、目的になってしまう。

そして、認知症を発症する事を恐怖して、監視し合う。

今、老人が集まれば、二言目には、「あんな風にはなりたくない」と、認知症を発症した人を嗤うのに忙しい。

孔子の主張した中庸を保持することは、なかなかに、難しい。

中道はもっと難しい。仏教で言う中道は、四聖諦の事。

日本では、中道左派などという言葉があるので、中道と中庸が混同されてしまっている。

四聖諦は、ゴータマ仏陀の教えで、我々人間、また有情は、自分が素粒子で出来ていて、刹那に生・滅しているのを知らずに、己に実体があると錯覚して、必要以上に己自身と周囲の他者、ものごとに執着して、それが却って不幸を呼んでいる、というパラドクス的教説。

これを理解するのは、中庸を理解するより、なお難しい。ゴータマ仏陀の中道は、また、享楽に落ちるな、(バラモン的な無益で無意味な)苦行に依るな、という意味も含み、故に、八聖道の事でもある、と理解することができる。

勿論、八聖道=四聖諦=縁起であるから、もともと、ゴータマ仏陀は、人生の実態は、無常・苦・無我(空)であるが故に、苦辺から離れよ、無為法を知れ、輪廻から離脱せよ、その為の精進をせよ、と言っていて、否、徹頭徹尾、それ一つしか言っていない、ともいえる。

中道と中庸を分けて理解して、その二者を共に、バランスよく実践する・・・

これが、凡夫には、案外と難しい。

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<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Paññādhika Sayalay般若精舎>