Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~歌手殺害

アフガニスタンが、タリバンの手に落ちました。

長い間に積み重なった民族間または民族内部の憎悪とか怨念とか、政治のことはよく分かりませんが、

[タリバンが人気歌手を殺害した]

件について。

タリバンは、アフガニスタンを制圧した後、イスラム教徒は歌を歌ってはならない、と言って、著名な歌手を一人、殺害したそうです。

イスラム教徒が依拠するコーラン(?)では、楽器を奏でてはいけないと書いてあるが、歌を歌ってはいけない、とは書いていない、とある日本の識者が述べていました。

それで思い出したのが、アメリカに住むアーミッシュ

彼らは、大昔、

「クリスチャンになるかどうかは、20歳になってから、自分で決めるべき。」

「幼児洗礼反対」

と主張して、異端扱いされ、ヨーロッパで迫害されたために、アメリカに移住してきたクリスチャンですが、彼らは、楽器禁止、歌を歌うのはOKです。

楽器を禁止するのは、

「楽器の演奏は、どうしても上手下手があり、上手な人は、下手な人を見下して、傲慢になりやすい。傲慢な人は、天国へ行けないから、楽器は習うな、弾くな」

というものです。

翻って、テーラワーダ原始仏教)では、在家にはあまり厳しい縛りはなく、出家者(比丘、比丘尼、メーティラシン)には厳しく、出家者は、歌舞音曲は、禁止。

そして、その理由は、

<出家したからには、修行に専念しなさい>

というもので、大変に合理的。

民衆を、非合理な法と律で制圧すれば、やがて、人々の怨嗟を誘い、はては暴力を呼ぶのですから、タリバンの歌手殺害の恐怖政治は、本来の、イスラム教とは言えない様に思います。

ちなみに、日本で有名な映画【ビルマの竪琴】では、出家した水島上等兵が、竪琴を弾きますが、これは緬甸人からしたら、大変におかしなことに映ります・・・出家比丘は歌舞音曲禁止だからです。

当時、緬甸政府も、<比丘が竪琴を弾くなどありえない>と、この映画の上映中止を求めたそうですが、実現しなかった様です。

映画自体はとてもよいものでしたから、竪琴を弾く代わりの、しゃれたセンスの何か、代替えで表現できなかったのかな、と外野で、残念がっている私です。

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<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/

Paññādhika Sayalay 般若精舎>