心、心所、色法は、有為法、または因縁和合の法という。
というのも、この三者は共に、因と縁に依存して生起するが故に。
因と縁が滅する時、それらもまた滅し去る。
故に、無常である;
無常の圧迫を受けるが故に、
それらは苦である;
(そこには)一個の主宰(者)も存在せず、人間もまた、心識を主宰する事は出来ない。
眼識が、それを見たくないと思っても、不可能である。
私の心が、物思いをしたくないと思っても、不可能である。
眼識が一個の色彩を見る時、生起する所の反応等々は、皆因縁の法であり、あなたは、コントロールする事は出来ない。
故に、一切の有為法は、みな無我であり、因縁生(因と縁に依って生じ)、因縁滅(因と縁に依って滅する)なのである。
四個目の究極法は「涅槃」である。
涅槃は無為法であり、因縁和合とは無関係である。
因縁和合と無関係であるならば、常であり、永恒であり、楽である。
仏陀の時代には、非常に多くの阿羅漢、比丘、比丘尼が存在したが、彼らは出定した後、必ず以下の様に言った:「ああ!非常に楽しい!非常に楽しい!」
これは、この涅槃の楽を言うのである。
涅槃には我(私)はなく、涅槃は常、楽、無我である。
(3-4につづく)
★句読点は中国語原文を優先尊重。
<願以此功徳、早日証得涅槃楽>
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>