しかし、実際には、視ているのは、眼識である。
色塵(色彩)が眼根を衝撃する時、眼識が生起する。
これは因縁法である。
音声が耳を衝撃する時、耳識が生起する;
食べ物の味が、舌根を衝撃する時、舌識は生起する;
身体が揺れる時、身識は生起する。
また、これら一つひとつは、皆、生・滅するものである。
耳が(音声を)聞いたとして、(それが)滅した後、また(耳識が)生起する。
音声が、引き続き長く(あなたの耳を)衝撃するならば、耳識は、持続的に生起して、長く音を聞き続ける事になる。
眼識、舌識もまた同様である。
これらは、皆、因縁和合の法であり、決して「我(私)」が視ている、聞いている、食べている、揺らしている訳では、ない。
(3-9につづく)
★句読点は中国語原文を優先尊重。
<願以此功徳、早日証得涅槃楽>
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>