この問題は、現代人だけが抱えているものでは、ない。
仏陀の時代、中部(Majjhima Nikāya)に(以下の様な話が記載されている、それは)、
サティ(沙帝)という名の比丘がいて、彼は友人に以下の様に言った:
「ずっと長い間、輪廻の中で漂泊し続けているのは、この一個の心である。」
彼は、聞くもの、見るもの、食べるもの、それは皆、一個の我(私)、一個の心、同じ一個の心が、輪廻の中で漂泊しているのだ、と言う。
彼の同参道友は:
「おい!君は、この様に言ってはならない。仏陀はその様には話されてはいない。」
と言う。
しかし、サティ比丘は、なおも主張を変えようとせず、
「絶対にこの様なのだ!
輪廻の中で漂泊し続けているのは、同じ一つの心なのだ。」
と言い張った。
我々にも、この様な考え方は、ないだろうか?
もし、そうであるならば、仏陀に叱責されるであろう。
同参道友は、彼を説得できかねて、仏陀に報告した。
仏陀は言った:
「そうですか!
ならば、あなたは、彼に、ここに来る様に言いなさい。」
(3-11につづく)
★句読点は中国語原文を優先尊重。
<願以此功徳、早日証得涅槃楽>
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎