同じ様に、あなたが僧院に来た時、庭に多くの落ち葉があるのを見て、箒を持って、中捨の心で、庭を掃き始めたとしたなら、これは
「捨具智相応無行一心」である。
もし、あなたが、この作業は、己自身、やるべき仕事であると思ってはいるが、この種の作業は善業である事を知らないのであれば、これを智不相応(の心)、と言う。
我々は、一つひとつの善業を行う時、智慧をもって、その因果関係を知っておく必要がある。
これはもっとも基本的な(仏教的な知識)である。
また、掃除の最中に、無常・苦・無我を観ずるならば、これは智と相応する(心である)。
己自身の心を研究してみるに、あなたの心は、善心の方が多く、不善心の方が少ないであろうか?
それとも、善心の方が少なく、不善心の方が多いであろうか?
不善心が善心より多い場合、注意が必要である!
(3-80につづく)