南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

般若の独り言~寂聴さんの説法

先日、天台宗の尼僧さんである寂聴さんが亡くなられました。それを受けて、ある日の(老人の)集まりで、

Aさん(女性)「私は、寂聴さんの事、嫌い」

Bさん(男性)「俺も。生き方が何だか・・・」

「私は、好きも嫌いもないです。

会った事がないので、好きだとか、嫌いだとかまでは・・・」

「ただ、彼女の説法は、私のとは、180度異なります。

私は、あんな風な、説法はしないです」

「でも、彼女の説法は人気があって、結構な数の人々が集まる訳で、それは何故でしょうかねぇ・・・」

と言いました。

彼女は、《恋愛は業であり、ある種、雷に打たれた様なもの。誰も避けられないし、避ける必要もないし、老人でも、堂々と恋愛すればいい》

と言っていると、私は、女性週刊誌に載った彼女の説法から、この様に理解しています(勉強不足で、誤解ならすみません)。

2600年前、出家して修行する事を大いに勧めた

ゴータマ仏陀は、【恋愛は不可抗力】などと言うでしょうか?

ゴータマ仏陀は言いました。

★業を乗り越える為に、32身分の修行をしなさい。

修行者が、禅定に入って、身体を、これは心臓、これは肺、これは腸、これは大便と観察する修行で、他人の身体もこの様に観ていきます。

恋愛できます?

★業を乗り越える為に、不浄観を修行しなさい。

不浄観は、ゴータマ仏陀の時代はお墓に行って、死体が腐っていくのを観察したそうです。

現代では、火葬ですから、この様な修行はできませんが、修行者は、禅定に入って、涙や鼻汁、尿や便、頭髪、フケ、皮膚、皮膚上の油脂などを、汚いもの、として省察と観察をします。

恋愛できます?

★業を乗り越える為に、白骨想の修行をしなさい。

禅定に入れる修行者は、己自身の骨の観察をします。

己自身の骨を見ることのできる修行者は、

【骨、白い、不浄】、【骨、白い、不浄】

と観察を続けます。他人の骨も同様に観察します。

恋愛できます?(注1)

 

ゴータマ仏陀はなぜ、色々な、不浄の修行を勧めたのでしょうか?

それは、我々が、有為法という名の、構造的苦界において輪廻する苦しみから、離脱する為である、と私は思います。

 

《天界(有為法)や涅槃(無為法)という、清らかで安楽な世界があるのに、貪・瞋・痴にまみれた地球世界に生まれることはない。人々よ、真の幸福を目指せ!》

 

私は、ゴータマ仏陀の教えを、この様に理解しています。

注1=上に紹介した瞑想は、すべて、サマタ瞑想であって、vipassanā ではありません。

禅定に入った修行者が、対象を心眼、慧眼で観察しているとはいえ、観察対象の物質が、いまだ、塊に見えている時は、サマタ瞑想です。

色法(+心法)の観察、すなわち、心眼、慧眼でもって、素粒子クォーク)とcitta の無常(刹那生滅)・苦(不円満性)・無我(自性)が観えた時、それは vipassanā(観の瞑想)です。

 

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/

 Paññādhika Sayalay 般若精舎>