教法は、唯一、心霊(=心)が安らかな者の為にのみ建立された港ではない。
それは、人々にとって、イライラと落ち着きのない様子から、静かな落ち着きに向かう、転換点でもある。
一人の人間が、仏法の道に歩み入った時、たとえ、具体的な目標がなくとも、仏陀と仏法がその人間の心に融入するならば、彼は、徐々に、静かな、落ち着いた人間になる事ができる。
すべての、阿羅漢を証悟した人間が、みな、輪廻に失望して仏法に踏む込んだ訳ではない。
ラーダ(Rādha)婆羅門が剃髪得度したのは、楽に生活したいが為であったし、ヴァンギーサ(Vaṅgīsa)婆羅門は、呪文を学びたいが故に、剃髪得度したのであり、月光(Candābha)婆羅門も、また同様であった。
(5-17につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>