40年前、テーラワーダ(原始仏教)を学びに、タイの森林僧院に通っていた頃、その森林僧院の住職さんから、こういわれました。
「人間は、一軒の、窓が五つある家に住んで、その家の中を飛び回りながら、時々、窓から外を見ている猿の様なもの」
私は、その時すでに「意馬心猿」という言葉を知っていたので、「はは~、この事だな」と思いました。
私たちは、五つの窓(眼、耳、鼻、舌、身)から外を見て、情報を収集し、己自身の業(心の癖)に合わせて、調理・調合して、物語を紡ぐ。
そして、我々は、それが、貪・瞋・痴に満ちた、無明の産物、愚か者の妄想である事に気が付かないで、結果、情報と業を織り交ぜた物語に振り回される <からくり人形> になる。
これに気が付いたゴータマ仏陀は、さっさと般涅槃してしまいました。
シャーリプトラ尊者は悟った後
「生きていくのは面倒で、意味もないけれど、死ぬ日を待つ事にしよう。
今の私の心境は、公務員が給料日が来るのを、待っている様なもの」
と、のたまわったと、経典にあります。(昔から、公務員は、手抜き人間の、代名詞だったのですねぇ)
<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>